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2013年05月30日20:10

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オリンピックについて考えてみる

レスリングが五輪最終候補に
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=2447253

僕は、五輪での日本の野球とソフトボールの活躍をまた見たかったので、最終候補に野球・ソフトボールが残ったのは良かったと思った。
良かったと思ったのだが、この五輪競技の1枠をかけて、レスリングと争うわけで、元はといえば、その1枠は五輪の中核競技としてレスリングが持っていた1枠なのだ。

だから、本当にフクザツな気分だ。

そもそも、なぜIOCは、数ある中核競技の中から、伝統あるレスリングを中核競技から外したのか。
いや、なぜIOCは、五輪競技の新規参入をするために、わざわざ入れ替えをするようなシステムにしたのだろう。
記事には、五輪の肥大抑制と書いてあるが、そもそも多様化するスポーツ競技なのだから、五輪の競技が増えるのは仕方ないことだし、よく吟味した上で、新規参入する競技を決定するなら、わざんざ現在ある中核競技と入れ替えする必要がなぜあるんだろうと思ってしまう。

というのも、いくらIOCが商業路線に走っていようとも、それはスポーツでオリンピックを目指す選手にとっては関係のないことだ。
選手にとっては、オリンピックというのは、特別な存在で、特にこれまで中核競技として存在してきた競技をする選手にとっては、それはその選手の競技人生の目標といってもいいんじゃないだろうか。

例えば、今回、中核競技から外されたレスリングにしたって、小さな頃からレスリングでオリンピックに出て、金メダルを獲ることを目標に競技に励む選手がいる。
その選手にとって、自分の人生における大切な時間を、その目標のために一生懸命レスリングに注いでいるわけだ。
それでも、オリンピックに出れるかどうかはわからないし、メダルを獲れるかどうかわからない。
でも、例えそうだったとしても、オリンピックにレスリングがある限り、目標はそこにあり続ける。
しかし、もし、IOCの判断で、突然オリンピックの競技から、レスリングが外されたとしたら。
これまで、オリンピックを目指して競技に励んできた選手の気持ちはどうなるんだろう。
IOCは、そうした選手の気持ちはちゃんと考えているんだろうか。

僕は、一度オリンピックの競技に、IOCが参入させたら、IOCはその競技にオリンピック競技としての責任を持つ必要があると思う。
何故なら、その瞬間から世界中で、その競技をする選手が少なからずオリンピックに出場することを目標とするからで、その選手の気持ちを踏みにじるような真似はしてはならないと思うからだ。

レスリングが中核競技から外れた時、ロビー活動が足りなかったからだ、という声があった。
もし、ロビー活動なるものが存在して、そのロビー活動が中核競技から外す判断基準にされているなら、選手は本当に不幸だ。
そして、今回の入れ替えのシステムも、きっと五輪競技の肥大抑制だけが理由ではなく、このロビー活動で味をしめたIOCの魂胆があるのだろうと思えてならない。

もしそうなら、選手は競技と全く関係ないところで、自分の競技人生の目標を左右されていることになる。
そして、このロビー活動が、競技そのもののルールにまでIOCが口を出すようになったら、それははたしてスポーツマンシップに則った競技と呼べるものなんだろうか。

忘れてはならないのは、例えオリンピックがIOCのものであったとしても、競技は選手がいなければ成り立たないということ。
IOCが、こうして選手の気持ちを踏みにじり続けるなら、いっそすべての競技がIOCから、ボイコットしてみればどうだろうか。
世界一を決める大会は、別にオリンピックである必要はないのだ。

伝統に胡座を掻いて、選手をないがしろにするならば、すべての競技がオリンピックにノーをつきつけるべきだと思う。
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