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2013年05月24日12:55

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被害者の時計は止まったまま

神戸児童連続殺傷 癒えぬ心境
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=2440188

この事件は、その手口の残忍性と、犯人の異常性ばかりが目立ち、当時独身だった僕は、そちらのほうばかりを注目していたような気がする。
1人の小学生が亡くなったというのに、そのあとの異常な展開に、亡くなった事実があまりに現実感として感じなくなった。
いわば、何かの小説や映画を観ているような。
そんな感じで、この事件を見ていたような気がする。

それは、僕があの頃まだ20代前半で、結婚もしていなければ、子供もいなかったから、子供を持つ親の気持ちを、自分のことのように感じることができなかったせいかも知れない。

今、自分が親になってみると、この事件で本当に大切なのは、事件の残忍性や犯人の異常性ではなく、事件によって愛する子供を亡くされたご両親の気持ちなんだと痛感する。

ゆうべ、仕事が終わって家に帰る。
息子たちは、もう寝ていた。
4歳と2歳の息子。
その息子の寝顔を見ていると、僕はこの息子たちが将来どんな大人になるんだろうと、想像する。
4歳の息子は、大きくなったら、"はやぶさ"の運転手になりたいらしい。
2歳の息子は、今、"カーズ"に夢中だ。
2人は、一体どんな大人に成長するのだろう。

しかし、これは約束された未来ではない。
人は、何時何処でどんな目に遭うかわからないし、どんな出来事に巻きこれるかわからない。
それでも、僕は息子たちがこの先もずっとずっと元気で居てくれると信じている。
元気で成長し、大人になることを信じている。
これは、親ならば、当たり前の気持ちではないだろうか。
この親の我が子への気持ちは、願いというよりそう思い込んでいるのだ。

その大切な息子が、11歳で亡くなったとしたら。
それも、殺害されたとしたら。

もし、今、自分の息子が亡くなったとしたら。
きっと、僕はこれから先の生きる希望を無くすだろう。
僕がいくら歳を取っても、息子は4歳のまま。
もう、息子の成長を見ることはできないし、声を聞くこともできない。
この手で抱き締めることもできない。

そして。
愛する我が子が亡くなったのは、殺害されたのだとしたら。
僕は、死ぬまで、殺した人間を許さないだろう。憎んで、憎んで、憎しみ続けるだろう。
それは、加害者が大人であろうと、未来ある少年であろうと関係ない。
愛する我が子が殺された事実に、年齢や殺害の異常性など関係ない。
この気持ちは、きっと何年経っても変わることはないだろう。

この事件の加害少年は、逮捕され、裁判を受け、少年法での裁きを受け、服役し、罪を償って、今は社会に出てきている。
彼は、もう事件の罪を償ったとして、社会的には罪を許された人間なのだ。

だが、僕は息子さんを亡くされた土師さんの気持ちを自分に投影させると、複雑な気持ちになる。
一体、罪を償うとは何なのだろう。
誰に向けて罪を償うのだろうか。
迷惑をかけた社会に対して?
それとも、被害者や被害者の家族に対して?

罪を償って社会に出た加害少年がいる。
一方で、あの時から、時が止まったままの被害者家族がいる。
被害者家族は、いつもおいてけぼりだ。
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