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2013年05月20日20:25

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出生前診断そのものの是非にも関わってくる話

■ダウン症を「異常なし」=出生前診断、両親が医院提訴―北海道
(時事通信社 - 05月20日 12:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=2434791

過去に何度か、出生前診断については日記に書いているので、今回、この記事について日記を書くべきか本当に悩んだ。

どうしてもこの手の記事になると、綺麗事を並べるような日記になってしまいそうだからだ。
書くなら不謹慎を承知で、自分の考えていることを素直に書きたい。

なので、この日記はかなり不謹慎な日記になっているかもしれない。
そうであれば、大変申し訳ありません。


今回、問題となった出生前診断は、おそらく検査の時期から考えて、リスクの少ない血液検査ではなく、場合によっては流産のリスクもある、羊水検査だったんだろう。

出生前診断を考える時、夫婦がそのリスクを冒してでも検査を受ける理由は、やはり、お腹の中の赤ちゃんに、染色体異常があるかどうかを知りたいからだ。
そして、出生前診断を受けるからには、その夫婦にとって、異常がなければ確実に産むということ。
当たり前のことだが、これは大切なことで、夫婦にとっては、この赤ちゃんは望まれて宿った命なのだ。

だから、この夫婦が出生前診断で異常なしを伝えられたら迷うことはない。
きっと、赤ちゃんが生まれくる十月十日を、心待ちにされていたろう。
元気な赤ちゃんが生まれてくることを願って。

なのに、生まれてきた赤ちゃんがダウン症だったとしたら。
しかも、検査の精度の問題ではなく、検査報告書の読み違えという、その時わからなくても、後で確認すれば簡単にわかるようなミスで、陽性を見逃されたとしたら。

これは、この夫婦にとって、本当に取り返しのつかないミスを医師はしたんじゃないだろうか。
勿論、医師だって人間だ。ミスをすることだってある。
しかし、今回のミスは技術的なものじゃない。
診断力の問題だ。わからないなら、わからないで確認のしようだって、いくらでもあった話だ。

ここの部分でのミスが仕方ないものとされたら、出生前診断なんて意味のないものになってしまう。
羊水検査の場合、妊婦は流産のリスクを冒してまで検査をしているのだ。

ここではっきりしたいのは、出生前診断というのは、命の選別をしているということだ。
しかし、すべての人にとってという意味ではない。
人によっては、出生前にダウン症と知ることで、出産までの間に家族との間で、この先の生活についての計画も立てられるし、心の準備もできる。

しかし、人によっては、出生前診断で陽性が出たら、産むかどうかを悩んだ末、産まない選択をする人だっている。
それは、命の選別の側面を持っているのだ。

僕には、2人の息子がいるが、もし嫁が妊娠して、お腹の中の赤ちゃんがどんな子供であろうと、絶対に産むつもりなら、羊水検査での出生前診断は受けない。
何故なら、羊水検査じたいに流産のリスクがあるのに、最初から産むつもりなら、そんなリスクは冒したくないからだ。

羊水検査を受けるということは、これは綺麗事じゃなく、もし陽性だったとしたら、選択肢の中に、中絶ということも夫婦の中にはあるかもしれないということなのだ。

だから、今回の夫婦が出生前診断で陽性とわかっていたら中絶するつもりだったのか、と責めるのは、あまりに酷だ。
陽性だったら、中絶するかどうかなんて、この夫婦にわかるわけがないのだ。
何故なら、陽性とわかって初めて夫婦は、産むかどうかの選択を迫られ、話し合い悩むのだ。
検査を受ける時点では、可能性は考えても、夫婦は陰性であることだけを願うはずだ。

だからこそ、この検査の場合、検査の読み違えなどというミスは許されない。
診断に自信がないなら、複数の医師や場合によっては検査した会社に確認してもらっても、見逃してはならない。
でないと、この検査によって、家族の生活が大きく変わってしまうし、1人の尊い命に関わる問題になってくるのだ。

そして。
綺麗事じゃなく、出生前診断には、確実に命の選別の側面がある。
今回、この夫婦を責めることは、出生前診断そのものの是非にも関わってくる話になるような気がする。

きっと、このご夫婦は、僕らの想像を超えた、辛く悔しい思いをされただろうと思う。
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