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2013年05月14日12:44

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愛情は血の繋がりを超えるのだろうか

卵子提供する女性 揺れる思い
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=2426579

もし、子供がどうしても欲しくて、それでも子供ができなかったら。

過去に一度、こんな話を嫁としたことがある。
その時、僕たちの間には、息子が2人いた。
だから、あまり現実的に差し迫った話でもなかった。

でも、その頃は東日本大震災もあった後で、嫁の心境に何か変化を与えたのかも知れなかった。
嫁は、迷わず、もしウチに子供ができなくて、それでもどうしても子供が欲しかったら、養子を貰うだろうと言った。
たとえ、血が繋がってなくとも、ウチに来てくれるなら、それは私たちの子供だ。
本当の親子のように愛情を持って育てることができたら、それはきっと血の繋がりを超えるだろうと。

そんな嫁は、自分が出産し、ママになった日から、僕は変わったような気がした。
最近は、外で小さな子供を見ても、いや高校生くらいの子供を見ても、その子供を母親の目線で見ているという。
嫁はまだ31歳で、4歳と2歳の息子のママになったばかりだが、僕なんかより、ずっとずっと精神的に母親として成長したのだろう。

もしも、まだ僕たちに子供が居なかった時に、冒頭の質問を嫁にしたなら、はたして嫁は同じような答えを言っただろうか。

養子を自分の子供として育てることを選んだろうか。
それとも、卵子提供を受けてまで、あくまで自分のお腹から赤ちゃんを産み育てたいと思っただろうか。

これはきっと、視点の違いだ。
つまり、妊娠、出産を経て生まれ来る子供を育てる。
そこには、母親としての喜びがある。
たとえ、卵子は提供されたものでも、精子は愛する夫のものだ。
自分との遺伝子の繋がりはなくとも夫とは遺伝子の繋がりがある。
その子供を自分のお腹で産み、育てる。
そこに、喜びがある。

だが、子供の視点に立てば。
自分は、母親でない女性の卵子と父親の精子を体外受精させて、それを母親の子宮に戻して生まれた子供なのだ。
本来、自然として有り得ることのない、人工的な妊娠によって。
この事実は、生まれた子供にとっては、本当に辛い事実だと思う。
何故なら、自分には遺伝子上の繋がりがある人がいて、その人は母親ではなくは卵子提供者なのだ。
提供者は、母親であって母親でない。
そして、自分は人工的に作られた人間だ。
この事実は、きっと本人にしかわからない苦悩をその子供に与えることになる。

こう書くと、遺伝子上の繋がりなんて関係ない。
自分の母親から生まれたのだから、そして父親の遺伝子の繋がりがあるのだから、自分の母親に変わりないんだ。
そう言う人がいるかもしれない。

だが、それはあまりに親の目線に立った言い方だ。
子供にとっては、その遺伝子こそが大切なのだ。
何故なら、遺伝子こそが自分の存在の理由だからだ。
もし、血の繋がりや遺伝子が本当に関係ないなら、卵子提供せずとも養子で事足りた話で、そうなれば自分の存在はないのだから。

では、事実を知らせなければ良いのか。
いや、事実は知らせなくとも、自分で知り得ることがある。

僕の祖父はAB型で、祖母はB型だ。
そして、僕の母親はO型だ。
生物を習った人ならご存知だろうが、AB型とB型の両親から、O型の子供が生まれることは、まずない。
僕は、その事実を中学生の頃知った。

僕の祖父と祖母は、母親と血が繋がっていない。
つまり、本当の親子ではない。
そのことを僕の母親は知っているのか。
知っていて、僕に教えてくれていないのか。
それとも。
知らないのか。
知らないとしたら、その事実を母親に知らせるべきか。
それとも。
この事実は、知らなかったこととして、僕の胸の内に秘めておくべきか。

僕は、その時、本当に悩んだ。
悩んで、悩んで、その時の僕は、結局自分の胸の内に秘めておくことにした。

実は母親は知らなかった。
祖父母が亡くなって、しばらくして本当の父親の遺産相続の話が舞い込んで、この事実を知った。

祖母は、もともと子供が産めない身体だった。
祖父とは再婚同士で、祖父には連れ子がいた。
その男の子を自分の子供として、大切に育てていたのだが、男の子が5歳になった頃、疫痢で亡くなったのだ。

大切な一人息子を亡くした祖父母は、悲しみにうちひしがれていたのだが、そんな時に、とある捨て子を引き取ることになった。
その捨て子が、僕の母親だった。
母親は、祖父母に本当に大切に育てられた。
祖父母が亡くなるまで、本当の両親と思っていたくらいだから、祖父母にとっては、母親は血の繋がりがなくとも、本当の娘だったんだろう。

そして、祖父母はその事実を決して母親に打ち明けることなく、墓場まで持って行った。
それはきっと、祖父母の母親へのメッセージだったのだと思う。
お前は、私たちの娘なのだから、血の繋がりなんて関係ないと。
要は、話す必要がなかったのだ。

あの時、僕は自分の胸に秘めていて本当に良かったと思った。
打ち明けていても、親子の関係は変わらなかったろうが、それこそ野暮な話になっていたろうからだ。

もし、子供がどうしても欲しくて、それでも子供ができなかったら。

僕は、嫁の意見に賛成だ。
迷わず、養子を貰って、自分たちの子供として、大切に育てるだろう。

だが、理由は嫁とはちょっと違う。
僕は、身近に血の繋がりがなくとも、本当の親子のような家族を持った人たちを知っているからだ。
親子の愛情は、時に血の繋がりを超えることを知っているからだ。
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