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2013年05月06日23:54

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ラ・フォル・ジュルネ2013第二日目

第二日目
No.222
■2013年5月4日 12:30〜13:15■ホールB7(写真無し)
■パブロ・サインス・ビジェガス (ギター) オーヴェルニュ室内管弦楽団 ロベルト・フォレス・ヴェセス (指揮)
■曲目
♪フランセ:オーギュスト・ルノワールによる15人の子どもの肖像
この曲は弦楽合奏のための組曲だ。一分程度の小品が15曲ある。
いわゆる《フランス音楽》らしい曲で、軽やか、繊細、優しい、ときどき冗談、という感じ。
全15曲の中には、びっくりするほど実験的な曲もあったが、それも《フランス音楽》らしい「遊び」なのだった。

聴きながら、何が《フランス音楽》の本質なのかなぁと考えていた。
たとえば、ヤナーチェクが書いた弦楽のための組曲は、喜びにしても悲しみにしても切実なところがある。
それに比べてフランセの曲は、あまり切実じゃないが、ふんわりと聴き手の心に寄り添うところがある。

♪ロドリーゴ:アランフェス協奏曲
ちゃんと聴いたことがなく、よく分からない曲だった。
特に終わり方。いつの間にか終わっちゃう感じ。

今回は、初めて全曲をしっかり聴いて、十分に楽しむことが出来た。
ソリストのビジェガスのギターは美音で、繊細、かつ懐が深い演奏だった。
広すぎないホールB7で、小編成のオケで、比較的近い距離で聴けたのがよかった。
大ホールには向かない曲ではなかろうか。

拍手に応えて、ビジェガスが「タンゴ」を弾いた。
これまた表現力豊かな見事な演奏だった。
ビジェガスによるギターの曲集や、アランフェスのCDがほしくなったほどである。


No.243 “20世紀パリ:音楽の冒険(Cプロ)”
■2013年5月4日 14:15〜15:00■ホールC
フォト
■アンサンブル・アンテルコンタンポラン スザンナ・マルッキ (指揮)
■曲目
♪ドビュッシー:フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ
昨日のラヴェルに続いて、これも次元の違う名演だった。
エラートから出ている昔の名演が好きで、これ以上の演奏はないような気がしていたが、生でそれを超える演奏が聴けるとは…

♪ブーレーズ:デリーヴ1(6つの器楽のための)
昔の作品かと思ったが、1984年の作品だからレポンよりも後だ。
やはり、お好みの音形パターンが出てくる。
長い作品ではないが、充実した聴き応えのある作品だった。

♪ミュライユ:セレンディブ(22人の音楽家のための)
トリスタン・ミュライユは、いわゆるスペクトル楽派の作曲家。
スペクトル楽派の理論はまったく分らないが、倍音の構造を分析して作曲技法に応用したらしい。
今回、この曲が聴けるということを最も楽しみにしてきた。

聴いてみて感激したのは、結構バリバリに情け容赦ないゲンダイオンガクだったが、音色のパレットの色数がブーレーズなんかよりもずっと多くて、非常にカラフルでしかも新しい響きだったこと。
展開も自由な感じで、ドラマチックで面白い。

スペクトル楽派は、今では作曲技法の主流の一つとなっているらしいが、私が何かで読んだ記憶が確かならば、当初はブーレーズ流のセリエル楽派に対するアンチテーゼとして出発したので、スペクトル楽派は「反主流」とみなされていたらしい。
「反主流」であり、肩身が狭かったので、それでかえって作曲の腕を磨き、いい作品が生まれた、らしい。
(間違っていたら教えてください。)

ミュライユの「セレンディブ」は、1992年の作品とのこと。
作曲後もう二十年経つと思えば新作とも呼べないが、こういう魅力的な作品が今なお生まれているということで、とても幸せな気持ちになったのだった。


No.224
■2013年5月4日 16:00〜16:45■ホールB7
フォト
■アントニア・コントレラス (フラメンコ歌手) 海老彰子 (ピアノ)オーヴェルニュ室内管弦楽団 ジャン=フランソワ・エッセール (指揮)
■曲目
♪トゥリーナ:交響的狂詩曲 op.66
これは、内容的には単楽章のピアノ協奏曲だ。
曲そのものはラヴェルに似ているところがあるが、ラヴェルの作品に比べるとだいぶ質が落ちる感じ。
海老彰子さんのピアノ演奏は素晴らしかったと思う。
こんなに至近距離でピアノ協奏曲を聴けるという体験が最高だ!
最上の装置でデッカの優秀録音のLPを聴くよりいい音だ。
オーディオを続ける情熱がますます無くなってしまう。

♪ファリャ:恋は魔術師
フラメンコ歌手アントニア・コントレラスさんが語りと歌をやった。
存在感あふれるおばさんだ。
フォト

演奏そのものは結構不満があった。
・ストーリーが分らないとついて行きにくい作品だったのに、字幕が無かった。
・コントラレスさんはPAを使った。PAを使うと、目の前で演奏していても生の感じが減ってしまう。
・オケの演奏自体が、ゆるゆるだった。どうしてもこの曲のいいところを伝えてやろうという感じではなかった。最後だけすごく盛り上がるというのもずるい。

基本、弦楽オーケストラなので、管楽器はエキストラだったようだ。
日本人の若い女の子も参加していて、トランペットが非常に上手くて感心した。
いずれ名の知られた奏者になるかもしれない。


No.215
■2013年5月4日 19:00〜19:45■ホールA
フォト
五千人収容の大ホールで、このかぶりつき席だ。
チケットを取るならlfjフレンズの先行発売に限ると言えよう。
■小山実稚恵 (ピアノ) ラムルー管弦楽団 フェイサル・カルイ (指揮)
■曲目
♪ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ
音色の美しさを楽しんだが、ラムルー管弦楽団自体に対しては不信感が出てきていた。
第一ヴァイオリンのボーイングがいちいちタイミングがずれて見えるとか、リズムの甘さが随所に見られるのだ。

♪ラヴェル:ピアノ協奏曲 ト長調
妻は、かなり感激していたが、私にはいまいちだった。
この曲は、実演で非常に素晴らしい演奏を聴いたことがある。
第二楽章など、繊細さやファンタジーをどこまでも追求できる曲なのだ。
しかし、小山さんのピアノは、オケを巧みにリードしていたものの、この人のタッチにはどうしてもある種の硬さが感じられてならなかった。
本当に羽が生えたような軽やかさを聴かせて欲しかったのだが、そこまでは至らなかったのだ。

♪ラヴェル:ラ・ヴァルス
この曲は、バレンボイム指揮パリ管の超ドロドロ演奏や、プレヴィン指揮ウィーン・フィルの鬼気迫るライブ演奏が印象強い。
フェイサル・カルイはなかなかの解釈巧者で、四角四面なリズムはまったく無く、常にフレーズは伸び縮みし、リタルダンドする。
ラムルー管弦楽団もなかなか頑張っているのだが、構成に難が出て、最後の方は懲りもせず何度も盛り上がりを繰り返している印象となった。
私は、ラムルー管弦楽団のあまりにローカルなクォリティに辟易していた。
それでも、まずまずの好演であったことは確かだ。

拍手を受け、何度かカルイが出入りを繰り返す。
管楽器奏者が新たに入ってスタンバイをする。アンコールをやるらしい。
おっ、プロデューサーのルネ・マルタンが登場した。

「ただいま、ラムルー管弦楽団による、ラ・ヴァルスをお聞きいただきました。
指揮者のフェイサル・カルイを紹介いたします(パチパチパチ…)
実は、ラムルー管弦楽団は、日本とは深い縁があるのです。
なぜなら、このオーケストラの前任者で、17年間指揮していたのが、日本人のユタカ・サドだったからです。(おぉ〜)
そして、私はある予告をしておりました。ビッグ・サプライズがあると。(ええっっ?!)
ご紹介します、ユタカ・サドです!(ええーーっっ、うわあーーー!!!!)」

ホールAがどよめき騒然となる中、ピンクのシャツに白いパンツの佐渡裕が登場した。
カルイも名前に似合わず大男なのだが、佐渡はさらに大きかった。

佐渡裕は指揮台に上がった。
なんというビッグ・サプライズ!それを目の前で目撃するとは。
一体何を演奏するのだろう?

♪タン・タカタタン・タカタタンタン・タン・タカタタン・タカタカタカタカタ…

―――驚いた。なんと、ボレロをやるというのだ!

佐渡は、三分の二くらいは殆ど指揮をしなかった。
ただ、熱い思いと気迫を全身でオケに伝え、オケはそれに応えた。
こんちくしょう、カルイが振ったときよりいい音出すじゃないか。

弦が入るあたりから、佐渡もいよいよ本格的にオケに気合を入れて行く。
フレーズのところどころに強調するポイントがあり、佐渡のアクションに応じてオケが見事に反応する。
最後は、見事に佐渡裕の音楽になっていた。ブラボーの嵐!

フォト

佐渡が、健闘したクラリネット奏者(日本人)を称えると、彼女は泣いてしまった。
他にも感涙している奏者が何人もいた。
奏者にとっても本当のサプライズだったらしい。
佐渡と音楽を作ってきた17年の月日の重みが現れていた。

自分の前任者がオケを意のままに操るのを見たら、普通嫌だろうと思うのだが、カルイは立派だった。
フォト
カルイは佐渡を称え、二人は仲良く退場したのだった。
こういうドラマチックなサービスに出会うことがあるのも、LFJならではだ。


No.216
■2013年5月4日 21:15〜22:00■ホールA
フォト
■マリウシュ・ヴィルチンスキ (ライブ・ドローイング) ボリス・ベレゾフスキー (ピアノ)
シンフォニア・ヴァルソヴィア ジャン=ジャック・カントロフ (指揮)
■曲目
♪デュカス:交響詩「魔法使いの弟子」
ラムルー管は、フランスオケらしい音色と、ふわりとした歌い回しを持ち味としているが、反面リズムは甘甘で、テンポが速い部分や、複数の旋律が対位法的に錯綜する部分などはアンサンブルに綻びが出る。
「海」を初演した、近代オケの歴史の一翼を担う由緒あるオケだが、現代化には成功していない田舎オケなのだ。

対してシンフォニア・ヴァルソヴィアは、キレッキレにアンサンブルが研ぎ澄まされた現代オーケストラだ。
「魔法使いの弟子」も、このアンサンブルしづらいリズムと旋律の連続する難曲を、これでもかという速いテンポと切り込みの鋭いリズム感覚で一気呵成に弾いて見せた。
情緒レスな演奏ではあったが、この技術と一貫した美学には脱帽するしかない。

♪ラヴェル:左手のための協奏曲
いよいよ、ロシアの大男の登場だ。毎年、この人のピアノだけは聴き逃せない。
妻はこの大男をベレ様と呼び、マイミクのハタコさんもこの大男をベレちゃんと呼び、二人とも大ファンだ。

「左手のための協奏曲」は、奏者には大きなハンディが課せられるし、曲自体が「ト長調」と比べるとかなり難解だ。
私も慣れるのに時間を要した。

不気味な低音から、フランス音楽とも思えぬ情念を帯びた重厚さで盛り上がる前奏部分。
これを聴くと、当時犬猿の仲だったはずのフランス音楽とドイツ音楽(ベルクの「三つの小品」とか)が意外に似ているのに驚いてしまう。
次第にリズミカルで楽しい音楽となるが、長大なソロの後は、かなり情け容赦なく終わってしまう。
聴衆の消化力を問う演目である。

ベレゾフスキーと、ヴァルソヴィアによる演奏は、もうこれ以上の演奏は聴けないのではないかと思えるほどの名演だった!
ヴァルソヴィアの研ぎ澄まされた演奏力は、ラヴェルの複雑なオーケストレーションを解剖学的な精緻さで描き出した。
それに対して、ベレゾフスキーが、入念に準備して来たことを伺わせる、練り上げられた演奏でピタリと応じた。

ホールAでは、スクリーンに奏者の様子が大きく映し出される。
ベレゾフスキーの、人間業とも思えない左手の動きがクローズアップされた。
左手の五本の指で、低音から高音まで行き来する複数の旋律線を見事に弾き分ける様は、それを作曲したラヴェルの創意、孤高な人間の気高さ、人間の表現力と英知など、多くのことを強烈に訴えかけてきた。
そして、カデンツァの驚くべき繊細さはどうだろう。
ベレゾフスキーは、その巨体が秘めたパワーはもちろんだが、美意識の細やかさも並外れているのだ。

本当に美しい演奏で、大感動だった!
曲の難しさゆえか、満場総立ちにならなかったことに私が不満を感じたほどであった。

♪ラヴェル:ボレロ
さて、215で佐渡裕がボレロで会場を沸かせた直後にまたボレロである。
ところが、この公演では、ライブ・ドローイングという特殊な演出が加わって、まったく異色なボレロとなったのである。

演奏は、ラムルーの演奏よりも精緻な秀演だった。
ところが、スクリーンに映し出される映像が非常にあくの強いものであったため、映像と音楽と、どちらが主役だか分からなくなってしまったのだ。

マリウシュ・ヴィルチンスキは、キャンバスをハンディ・カメラで大写しにしながら、そこに下手うまな絵を描いていったり、あらかじめ用意した工場などの絵を、どろっとした糊で貼り付けたりした。

それが途中から、あらかじめ用意された実験的アニメーション映像にオーバーラップしてすり替わっていく。
それは、バラバラにされた人形と、捨てられた少女の愛の物語を描く、シュールでグロテスクなアニメだった。

私は実は学生時代に、アニメの自主制作や、実験的アニメーションに凝っていたので、どんな実験アニメに対しても「抗体」があるのだ。

だから、アニメのシュールな内容や、後半はまたライブに戻って、キャンバスを次から次へと切り裂いて破っていくような過激な手法にもついてはいけたのだ。

ただ、アニメが主になって、ライブ演奏が従になってしまうのはいただけなかった。
心に残る公演ではあったが、釈然としない部分もあった。
ベレゾフスキーのラヴェルだけでも感動は十分だったのである。

LFJ第三日目に続く
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