mixiユーザー(id:2039217)

2013年05月04日23:52

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人が人たる

進化論に従えば、人はサルから進化している。
それなら、どの時点で猿は人になったのか。
そもそも正解のない問いだけど、GWにじっくり書いてみたいことなので、興味のない人は読み飛ばしてください。

さて、哲学系のテキストで「ヒトだけが唯一、ヒトが死ぬことを知っている」なんてのを読みました。
ヒト以外の動物にとって死は、死ぬ瞬間まで意識せず、まさにそれを受け入れる瞬間に既に死んでいるので、死を認知できない、と。

ここでワタシが前に書いた日記(↓)のとおり、

カミサマってナンなのか
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1893303090&owner_id=2039217

認知できた結果として、カミサマを生み出したわけですね、と繋げればいいのですが、さて。

ここでもう一つの、人が人たる「言葉」の発明について。
言葉を発明したことで、人は歴史を持つことができるようになりました。歴史といってもそんな壮大な話ではなくて、ニッキのような、昨日どこそこで木の実があったとか、どこそこに動物の群れがいたとか、「言葉」で記憶するようになったわけです。
学習する動物はたくさんいますが、言葉を使って学習しているわけではありません。しかし、逆に人は言葉を使わずに思考したり行動したりということが出来なくなってしまいました。
言葉、つまり「記号」を使うことで、いろんな情報を一つの記号に省略できる、つまり認識を「節約」出来るようになったわけで、これで相当脳の使用効率が上がったんだろうと思います。そして、その手法に特化して脳が進化した。

しかし、言葉で過去を記憶することで、仲間の「死」をも、記憶してしまった。
言葉によって論理的に思考することで、仲間が死ぬ=自分も死ぬということを導き出してしまった。
ワタシは「死」という機能は、生命にとって何かしら必要なものだから進化の過程で選択され、ほぼすべての生命が「死ぬ」ようになったのだ思っていますが、残念ながら、ヒトは自らの設計図や設計思考を見れません。
認識してしまうと、死は非常に理不尽なものですが、なぜ人は死ぬのか、その明確な答えは今もって誰にも出せません。だからひとまず「カミサマ」という言葉に置き換えた。

で、

「カミサマという概念」というのがこういう過程で生まれたのだとして、その「概念」の「実在」というのは、とても興味深いものです。
言葉を持たない猿にカミサマはいませんが、言葉がある限り、「カミサマ」は存在しているといえるんじゃないか。だから、「神様はいますか?」と聞かれれば、「猿にはいないが、人にはいる。」といってもいいんじゃないか。
猿に認識できないから実在しないというのもある意味で真実ですが、「言葉の世界」を人が捨てない以上、そこに存在する神様もまた、人と共にある。としか言いようがないという気もします。

でも僕は、「言葉の世界」にいるという自覚を失ってはいけないと思います。
記号の世界は、あくまで脳を効率的に使うために現実を「省略化」した世界で、イコール現実ではありません。
神様でもスピリチュアルなものでも「形而上の概念」を盲目的に信じるというのは、省略化された言葉の世界にいることを忘れているのではないかと思います。
まあ、それこそが「人が人たる」ものなのかもしれませんが。。。


PS.
後半部分は、私自身がまだバチッとまとめきれてない感じなので、自分自身でも書いててよく分からなくなってきました。「カミサマという概念」と「省略化された言葉の世界」を「死の理解」で繋げようとしたのですが、説得力のある形でまとめられてないです。また、時間をみて考えをまとめないといけないですね。
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