■コンビニに乳児置き去り=福島
(時事通信社 - 04月30日 13:02)
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僕は男なので、パパの立場でしか子供を見ることができない。
だから、この置き去りにした女性の心境は正直わからない。
僕には4歳と2歳になったばかりの息子がいて、今だからはっきり言えるが、僕はこの2人の息子を愛している。
それは、赤ちゃんを見て可愛いと思うのと、また違った感情だ。
いとおしい存在と言うべきなんだろうか。
先日、嫁が2歳の息子、みのりくんを迎えに行き、保育園から一緒に出てきた時、保育園の隣のコンビニに、何人かの女子高生がたむろしていたらしい。
女子高生は、ヨチヨチ歩くみのりくんを見つけるなり、「カワイイ〜」と言って寄ってきた。
そして、みのりくんを抱っこしたり、頭を撫でたりしたらしい。
例えば僕が、みのりくんを可愛いと思う気持ち。
これはこの女子高生がみのりくんに抱く気持ちとはまた違ったものだと思うのだ。
実は僕は、もともと子供があまり好きではなかった。
というよりは苦手だった。
街で、小さい子供を見かけても、可愛いとは思うことはあっても、だからといってこの女子高生のように、子供のそばに寄って、抱っこしたり、頭を撫でたりなんて絶対にすることはなかった。
そんな僕だが結婚し、2人の息子のパパになった。
冒頭にも書いたが、今は2人の息子を愛しているし、人前でも息子を抱き締めたり、ホッペにキスをしたりできる。
でも、自分の息子以外の子供と言えば、僕は相変わらず子供が苦手なのだ。
我が子を可愛いと思う気持ち。
僕は親になって初めて知った。
というよりは、親にならなければ、絶対に知ることのなかった感情だ。
だが、パパはいきなりパパにはなれない。
初めてパパになった時、赤ちゃんを可愛いと思っても、今のような感情とは程遠い感情で、言わば我が子であっても我が子でないような、そんな複雑な感情だ。
僕はきっと、子育ての中で、子供の成長とともにパパになっていったんだろうと思う。
はたして、ママはどうなんだろう。
ママは、赤ちゃんが生まれてくるまでの十月十日で、お腹の中の赤ちゃんがいとおしい存在になって、ママになれるんだろうか。
それとも、最初はママを演じているだけで、本当は僕たちパパと同じ、 戸惑いの中、子供の成長とともにママになっていき、我が子への愛情を育んでいくんだろうか。
だとしたら。
もしかしたら、赤ちゃんを置き去りにしたママは、我が子への本当の愛情を知ることなく置き去りにしてしまったかもしれない。
そして、我が子への本当の愛情を知れば、こんなことをしなかったかもしれない。
僕はパパだから、ママの本当の気持ちはわからない。
でも、もしパパと同じ気持ちなら、ママはきっと祝福された環境でないと、パパよりママになる不安は大きいだろう。
この赤ちゃんのママはどうだったんだろう。
どんな気持ちで赤ちゃんを生み、そして置き去りにしたのだろう。
もし、ママもパパと同じなら。
このママは、赤ちゃんの無事を知って、どんな気持ちになるんだろう。
最後に、3日振りの日記になりました。
GW中、少し途切れがちになりますが、これからもよろしくお願いいたします。
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