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2013年04月27日16:13

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ゲージのはなし

■1歳児が踏切へ、列車がすごい音で停止…死亡
(読売新聞 - 04月27日 13:10)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=20&from=diary&id=2410639

スティーヴン・キングの作品に「ペットセメタリー」という作品がある。

僕は、この作品をまだ独身の頃に読んだ。
映画化もされたので、知っている方も多いかもしれないが、この作品はホラー作品だ。
だが、ホラー作品の中に、大切な家族の死をどう捉えるか、ということがテーマになっている。
とても悲しい話だ。

この話の中で、主人公の幼い愛息である、ゲージが自宅前の原っぱで家族で凧揚げをしているシーンがある。
ゲージは凧揚げに夢中だが、ふとした時に凧揚げのリールを離してしまう。
凧は風に乗ってどんどん遠くへ。
リールももちろん、原っぱをコロコロと転がっていく。
ヨチヨチ歩きのゲージは、そのリールを追い掛ける。コロコロと転がるリール。

ゲージから目を離して、妻や娘と話し込んでいた主人公は、ふと傍にゲージがいないこと気付く。

ゲージは、リールを追い掛けて、原っぱの端のほうまで歩いていた。
そして、その向こうには幹線道路があり、タンクローリーがやってくる。

主人公は、ゲージの名を叫びながら、必死に追い掛ける。
しかし、ゲージは幹線道路に向かってどんどん、どんどん離れていく。
主人公は、必死に追い掛けるが足がもつれて倒れてしまう。

そして。
妻や娘、主人公の悲鳴の中、ゲージはタンクローリーに轢かれてしまう。

この衝撃的なシーンから、話はどんどん物語のテーマに向かって進んでいく。

恥ずかしい話だが、独身の頃の僕は、このシーンを読んでも、悲惨な光景が頭に浮かんだだけで、主人公がその時、どんな気持ちであったかなど、自分のことのように感じることができなかった。

しかし、実は結婚し、息子が2歳になった頃に、この作品を読んだのだが、その時の僕は、このシーンの悲惨な光景より、主人公の心の裡が自分のことのように感じられて、結末を知っているのに、衝撃を受けた。
そして、そのシーンを読むのが躊躇われ、目を逸らしたくなった。

ちょうど息子はヨチヨチ歩きをし始めた頃で、ゲージと同じくらいだ。
ゲージと息子を重ね合わせて見ていたのだろう。
愛する息子を自分の不注意で亡くしてしまう親の気持ち。
きっと、人生の何もかもを無くしてしまったような気持ち。

そして、自分を責めるだろう。
責めて、責めて、できることなら、自分と代わってやりたい、そう思うだろう。

この作品では、息子が怪物になるのをわかっていて、それでも、葛藤し悩み、息子ならきっと大丈夫、と自分に言い聞かせて、息子を生き返らせようと墓を掘り返すシーンがある。

独身の頃、そのシーンは異常とも思えたが、今ならわかる。
僕だってそうするかも知れない。
大切な愛する息子が生き返るなら、きっと一褸の望みにすがってでもそうするかも知れない。

この記事を読んで、ふとあのシーンを思い出した。
きっと、親御さんは自分を責めていらっしゃるんじゃないだろうか。

あのシーンは、物語の中だけでいい。
もし現実になったら。
僕は、生きていく光を失ってしまう。

そんな悲しい出来事は、二度と起こらないよう。
僕らは、子供たちを見守る責任がある。
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