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2013年04月25日16:33

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田端義夫に捧ぐラブソング

■「かえり船」歌手の田端義夫さんが死去
(読売新聞 - 04月25日 12:40)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=20&from=diary&id=2407679

僕の母方の祖母は、今から26年前に62歳で亡くなった。
祖父は、20年前に72歳で亡くなった。
そして、田端義夫さんが今日亡くなった。

だから、もうこのことを話しても良いかと思う。

このささやかな昔話を話すことで、少しでも亡くなった田端義夫さんの弔いになれば、と思う。

過去に何度か日記に書いたので、僕の日記を読んでくださっているマイミクさんは、御存知の方もいらっしゃるかもしれないが、僕の母方の祖父母は、僕の母親の本当の両親ではない。

母親は、産みの母親に捨てられて、警察官だった祖父母のもとに貰われてきたのだ。
この辺りのいきさつは、過去に詳しく日記に書いたので、ここでは省きたい。

僕の祖父母は、ちょうど長男で一人息子を亡くしたところだった。
祖母は子供を産める身体ではなかった。
一人息子は、再婚した祖父の連れ子だったのだ。

実は祖父も祖母も再婚同士だった。

祖母は若い頃、京都の祗園で歌手をしていた。売れない歌手で、歌手をしながら南座のウグイス嬢のようなこともしていたらしい。
ちょうどその頃、ある男性と知り合い結婚をした。
その男性こそが、田端義夫さんだった。

祖母と田端義夫さんの結婚生活は、そう長くは続かなかったらしい。
色々と原因はあったらしいが、一つは田端義夫さんの女遊びが、祖母には許せなかったらしいのだ。
数年の結婚生活を経て、祖母と田端義夫さんは離婚し、それぞれの人生を歩んだ。

祖母はそして、同じく離婚したばかりの祖父と知り合う。
祖父もまた、素行と女遊びが原因で、ある女性と離婚し、実家のある山口県を勘当され、京都に出てきたところだった。
二人は、知り合い結婚をした。

祖父は結婚してから、人が変わった。
警察官になり、駐在所を転々とする大変な毎日ながら、祖母と共に一生懸命働いた。
ちょうどその頃に、祖父の連れ子で一人息子を疫痢で亡くしたのだった。
5歳だった。

二人にとっては、たった一人の息子だったので、亡くした時の悲しみやショックは相当のものだったらしい。
今も、実家の仏壇には、その男の子の位牌と写真がある。
可愛い男の子だ。

母親は、そんな悲しみにうちひしがれている祖父母のもとに貰われてきた。
まだ、1歳にもなっていなかったらしい。

祖父母は、そんな母親を自分の一人娘のように育てた。
祖父母は、自分たちが育ての親であることすら、母親には言わなかった。
その秘密は、祖父母が亡くなるまで祖父母の口から語られることはなかった。
もちろん、二人が再婚であるということも。
すべては、祖父母が亡くなってしばらくしてから、母親が知ったことだ。

祖父母は、亡くなるまで僕の母親の本当の両親であり続け、僕の本当の祖父母でいてくれた。

そんな母親が子供の時、一度だけ祖母の秘密の一つを覗いたことがあるらしい。
それは、祖父のいない昼下がり、母親が学校から帰ってくると、祖母が部屋に閉じ籠って何やらしていたらしい。

不審に思った母親が、その部屋を覗くと、祖母が買ったばかりのレコードを胸に抱いて、音楽に一心に耳を傾けていたらしい。
そのレコードが、田端義夫のレコードだったらしいのだ。

祖父が亡くなった日、母親は何の気も無しに、その時のことを思いだし、話をした。
そして、そこで初めて、祖母の姉から祖母が田端義夫さんと過去に結婚していたことを知った。

祖母が田端義夫さんとの結婚生活を送っていた時、田端義夫さんはまだ有名とは言えなかった。
そんな田端義夫さんのことを、祖母は別れてもなお、心の何処かで気に留め、心の中で密かに応援していたのだろう。

離婚してもなお、心の中で応援したくなる。
田端義夫さんとは、祖母にとって、そんな大切な人だった。
祖母が密かにレコードを聴いていた日、祖母は田端義夫さんの成功を心から喜んでいたに違いない。

そう、今は伴侶ではなく、一人のファンとして。

そんな女性が過去にいた。

田端義夫さんの御冥福を御祈りいたします。
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