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2013年04月24日00:20

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極寒の弥山川・死の行軍14時間!

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八経ヶ岳に登りたいと以前から思っていた。行者還トンネルからの往復コースが最もポピュラーだという。
そんな話をしていたら弟のなおちが弥山川ルートが面白いと勧めてきた。なおちは友人のケンタロとチーム川猿という沢登りの会を主宰しており、体力も技術もアスリートのレベルに達していると言っていい。
早速弥山川ルートについて調べてみるがかなりの上級者向けコースらしい。6月か7月の日の長い時期に、行者還TNに車を置いて折り畳み自転車で熊渡まで行き弥山川から八経ヶ岳を目指す計画を立てていたら、なおちが4月中でよければ一緒に行ってもよいと言う。迷いやすという弥山川をよく知っている2人がガイドをつとめてくれる上に、車2台をTN西口と熊渡にデポできるこの案は魅力的であり。のることにした。
しかしお互いの予定を繰り合わせて休みをとったものの、予報では当日は雨らしい。こりゃあ中止やなと思っていたのだが、前日の晩に「明日は明け方にはやむっぽいから行くで」とメールが。おいおいホンマに大丈夫なのか弟よ。
というワケで、オレとひるね、なおちとケンタロ、それに川猿メンバーのアメフト君の5人で雨のバリエーションルート弥山川に突入することが決定したのである。

3時半に堺を出てR169から行者還林道を目指す。途中なかなか道を譲ってくれないノロリンなどの影響もあって到着は予定よりも遅れ、6時半に熊渡を出発することに。

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熊渡。

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登山口。

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この絵だけ見れば楽しそうなコースなのだが…。

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白川八丁。この下は伏流水が流れている。
この先では渡渉に失敗して川に落ちたひるねを笑っていたら自分も落ちてしまい皆の笑い者に。この頃はまだ呑気だった。

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釜滝。

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ここから先が本番ですよ!

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道が崩壊している個所も多く気が抜けない。

と、ここでアメフト君のペースが落ちてきた。どうやら彼は行者還林道の曲がりくねった道で車酔いしたらしく、頭が頭痛で痛いのだとか。これからまだ道は長いのに大丈夫かよ。
そんなこんなで少しずつパーティーのペースは遅れはじめる。なおちとケンタロがいてくれるおかげで道に迷う事はなかったが、それなりに増水している川と、ただでさえ難しいのに雨のためさらに難易度が跳ね上がった岩場が一行の行く手を阻む。

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一の滝の吊橋。

吊橋でわずかな時間、滝に見とれてすぐ出発。ここからが梯子地獄の始まり。数えても数えてもキリがない梯子を上って渡って上って渡っての繰り返し。

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垂直の梯子の登りが続く。

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正直、疲れます。

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こんな水平の梯子も。もちろん足を踏み外したらタダゴトじゃ済まない。

木を掴もうとしたらトゲだらけのバラの木で思わずギャーと叫んでみたり、めちゃめちゃ狭い痩せ尾根の上で足場の木の根が濡れて滑って肝を冷やしたり…。

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岩のトンネル。

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濡れた岩場はめちゃ怖い。

11時前、ようやく双門テラスに到着。しかし残念ながら濃いガスに視界を阻まれ楽しみにしていた双門滝は全く見えなかった。かろうじて自分が今立っている足元が切り立った断崖絶壁の真上であることだけはわかる。

この辺から周囲の状況が変わってきた。木々からしたたる水の滴が凍っているのである。さらに標高を上げていくと梯子や鎖も凍りついているようになり、特に水平に渡していて掴まるところがない梯子などはツルツル滑ってデンジャラス極まりない。岩場もシャレにならないことになっていて、あまりに危険であるためひるねはハーネスを着けてもらってなおちやケンタロにザイルで確保してもらいながら通過していた。

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コケから垂れ下がるツララ。

ザンギ平への尾根は吹きすさぶ強風であった。周囲の景色はもはや樹氷の世界であり、濡れたグローブに容赦なく風が吹き付け手がちぎれそうに冷たい。なぜ替えの手袋を持参しなかったのか心底悔やまれる。
一行のペースはさらに落ち、この高さでこの状態なら弥山の上はどうなっているのかと考えるだけで絶望感が押し寄せる。しかし今登ってきた道を引き返す事は到底不可能に思えた。どんな地獄が待っていようと先へ進むしかない。
後で聞いた話だが、この時点でケンタロはにぎやかに喋りながらも実は泣いていたらしい。八経ヶ岳はとっくに断念していた。

ザンギ平から川の方へ降りてくると多少は寒さがマシになった。尾根の上で味わったような強風さえなければまだなんとかなりそうだ。
河原に降りたところで昼食休憩をとることに。しかしここでオレ的に本日最大のミスが発覚。なんと買ってきたおにぎりがない。熊渡でバタバタしながら出発した際になおちの車の中に置き忘れたようだ。けっこう極限状態っぽいのにこれが命取りになるかも知れん。これは自分の愚かさを呪うよりほかなかった。
とりあえずひるねのおにぎりを一つわけてもらい、持ってきた菓子をいくつか口に放り込んでしのぐ。行動食を多めに持ってきておいてよかった。

そこからしばらくは河原歩きが続く。崩壊した河原小屋の残骸のブロック塀などを見て自然の力のものすごさに畏怖する。

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渡渉もかなり多い。

そこから狼平までが最後の難所。濡れていたり凍りついていたりする岩場を越え、疲労が極限に達したひるねが渡渉に失敗して川に落ちそうになるもどうにか無事に通過し、いよいよ名物の鎖吊り梯子にチャレンジ。

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鎖梯子。写真でこの難所っぷりが伝わるだろうか。

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うへえ、キッツ!!

オーバーハングの岩に垂れ下がる梯子、まずは腕の力で身体を持ち上げる必要があり、これまでの行程で疲労コンパイルの中年にはかなりツラい。しかも例によって鎖は凍りついており、足はツルツル滑るし握った手はくっついて取れないというダブルバインド。ひるねは確保してもらいながら登る。ケンタロは隣の鉄杭に挑戦するもあえなく敗退。

続いてこれまたウワサに名高い空中回廊。岩に打ち込まれた鉄杭が並んでおりその上を通過する。もちのろん凍っている。

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この杭を踏んで歩いていく。踏み外せば谷底。

しかしもっと怖いものかと思っていたが、慣れたのか感覚がマヒしたのか特に何とも思わずサクサク通過できてしまいあっけなかった。

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けっこう楽しい。

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そんなこんなで15時45分やっと狼平避難小屋に到着。やれやれ、これで後は普通の登山道だ。
ホッとしたら尿意を催して立ちションに。ちんちん可哀相なくらい縮こまってた。
なおちとケンタロの間で、このまま弥山経由で行者還トンネルへ向かうか予定を変更してカナビキ尾根から熊渡へ戻るか検討、結局予定通り弥山へ向かうことに。

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狼平からひたすら続く木製階段。歩きやすいが正直しんどい。

狼平から上は吹雪吹雪氷の世界。樹から強風に煽られて吹き飛ばされた氷片が地面に積もっており、歩くとシャリシャリ音がする。ガチ冬山やんけ!
ここでひるねのペースが目に見えて落ちはじめ、心配したなおちとケンタロがひるねの荷物を持つことに。その後キットカットを食ったら復活したのだが、狼平で口にしておけばあんな迷惑かけることもなかったのにと後悔しきりの様子であった。

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霧氷と強風の弥山。めちゃくちゃ寒い。

弥山の手前でいきなりメールが入ってビックリする。しめた、ここは電波が入るぞ!
オレとひるねは下山後に洞川温泉で泊まって行く予定をしており、懇意にしている宿に18時チェックインの予定で予約を取っていたのであるが、現在時刻16時半、とても18時には間に合わない。
メンバーには先に行ってもらい宿に電話。現在の場所と到着が遅れる事を伝える。宿の主人はかなり心配そうな様子であった。

17時、弥山小屋到着。本来の目的であった八経ヶ岳は断念したが、とりあえずここが今日の一つの到達点であることにして、看板の前で記念写真を撮る。
小屋は開いておらず、自動販売機などもなかった。もしかしたら何か温かい飲み物にありつけるかもとわずかな期待をしていたが、そんなものはなかった。

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ようやくついた弥山小屋。しかしここからが本当の地獄だ…。

弥山小屋から奥駆道が本当につらかった。
ゴーゴーと吹きすさぶ、時折身体を倒されそうになるほどの強風にひたすら耐えながら出合を目指す。樹氷が吹き飛ばされてレインウェア越しに顔にバツバツと当たる。手は冷たいを通り越して痛い。指先にまだ感覚があることを時折確かめながら指を動かしつつ歩く。動いていないと死ぬということが実感としてわかる。
先行していたはずのケンタロとアメフト君のペースが落ちて追いつく。アメフト君は車酔いがマシになり本来の体力を発揮していたのだが、メシがあまり喉を通らなかったのがここにきて影響しているようだ。

徐々に徐々に日が暮れていく。出合の手前でヘッデンを装備。今まで使っていたコーナンの安いヘッデンではなく、こないだ石井スポーツで買った高いヘッデンでよかった。まさか買ってこんなにすぐに助けられる日が来ようとは。
18時50分、奥駆道出合に到着。ゴールまであとわずかだ。自分たちの心を奮い立たせる。
すぐに辺りは真っ暗闇になってしまった。ヘッデンの明かりで足元を照らしながら下りていく。アメフト君は本格的にヤバそうだ。「目ェあけろ!」「気合入れろ!」となおちとケンタロが檄を飛ばすが本人のリアクションは薄い。何か口にさせようにも喉を通らないようだ。少し休ませてキャラメルを舐めさせたところ、若干ではあるが自分を取り戻したようだ。一度はフラフラと崖の方へ行ってしまいマジでヤバかった。
出合からトンネル西口までコースタイムは30分。もうすぐ着く、もうすつぐ着くとお互いに言い聞かせながら真っ暗闇の中下りていく。ところがなかなか着かない。45分たっても1時間たっても下に着かない。
もうすでに身体も精神も限界近くにきていた。先の全く見えない闇の中、ヘッデンのちっぽけな明かりだけを頼りに手さぐりのように進む。

ハッキリと絶望感を自覚しそうになった時、木製階段が現れた。それを降りると見覚えのある特徴的な木の橋があった。ここからトンネルまではもう5分だ。そう告げるとなおちとケンタロは「やったーっ!!」と叫んだ。

20時20分、行者還トンネル西口到着。実に熊渡を出発してから14時間が経過しようとしていた。

汚れた服を気にする余裕もなく車に乗り込む。エアコンがこれほど快適に感じたのはこの車を買って初めてだ。
熊渡で川猿の3人を下ろし、近いうちに全員無事生還を祝って打ち上げをしようと約束し別れる。
21時に携帯の電波が入る場所まで来ると宿から電話が入る。何度もかけてくれていたようだ。
予約の時間を大幅にオーバーしていたが宿の人たちは温かく出迎えてくれた。あと30分連絡がつかなければ地元の消防団に捜索を依頼するつもりだったらしい。
宿の人が入れてくれた塩湯がこの上なく美味かった。
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