mixiユーザー(id:47361257)

2013年04月13日12:08

49 view

どんな幸福な人間でも、一度は死にたいと思う程、悲しく辛いことがある

■中2男子が自殺か、町教委「いじめ受けていた」
(読売新聞 - 04月12日 21:00)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=20&from=diary&id=2392843

今年の2月にクルマに追突された影響で、ムチウチになり、それ以降定期的に病院で診てもらっているのだが、先程、その病院の待合室のモニターに、ある言葉が映し出された。

"どんな幸福な人間でも、一度は死にたいと思う程、悲しく辛いことがある"

これは、作家井上靖の名言らしい。

僕は、これまでの39年間、はたして死にたいと思う程、悲しく辛いことがあっただろうか。
いや。
思い返してみて、確かに悲しく辛いことはたくさんあったが、死にたいと思う程のことはなかった。
では、はたしてこれからの人生で、僕はそんな経験をするのだろうか。

では、僕がもし、この亡くなった男の子と同じ状況にあったとしたら。
僕は、はたして死にたいと思うのだろうか。

今、誰かをいじめている人。
あなたは、今までに死にたいと思う程、悲しく辛いことがありましたか?
そして、あなたが今、誰かにしている行為は、その誰かにとって、死にたいと思う程、悲しく辛いことであるという自覚はありますか?


僕は死ぬのが怖い。
だから、例え死にたいと思う程、悲しく辛いことがあっても、おそらく死ねないだろうと思う。
だからこそ、僕は、一人の人間が死にたいと思い、本当に死んでしまうという状況というのは、よっぽど酷い状況だと思うのだ。

これだけ毎日のニュースの中で、多くの子供がいじめを苦にして亡くなっている記事を目にしているのにも拘わらず、今だ、そういった出来事が絶えないのは何故だろう。

誰かをいじめている人よ。
お前がいじめている人は、もしかしたらそのいじめを苦にして、死んでしまうかもしれない。
お前は、それでも構わないと思っているのか。

それは確かに自殺かもしれないが、それは自殺という名の間接的な殺人だ。
お前は、一人の人間を自殺に追い込んでしまうほど、その人間の自我を殺してしまったのだ。

同じ過ちを繰り返す前に。
今自分がやっている行為を考えろ。
お前は大したことないと思っていても、されている人にとっては、死にたいと思う程、悲しく辛いことではないのか?

殺人者になる前に。

"どんな幸福な人間でも、一度は死にたいと思う程、悲しく辛いことがある"

と、井上靖は言う。

だが井上靖は、だからといって死んでしまって良いと言っているわけではない。
だからこそ、人は死んではいけないのだ。
そう思うことで、人は悲しく辛いことを乗り越えよう、そう井上靖は言っているのだ。

どんな方法でもいい。
こんな家族にとって辛く悲しい出来事は、二度と繰り返されないで欲しい。
11 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する