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2013年04月10日13:01

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飛躍は経験という土台なしでは羽ばたけない

東京造形大・入学式の式辞が名スピーチだと話題に 「経験という牢屋」学長が語る
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=128&from=diary&id=2388189

僕の仕事は鍼灸師で、僕は大学を卒業してからずっとこの仕事をやってきて、おそらくこれからもこの仕事で生計を立てていくだろうと思っている。

だから、この日記は鍼灸師としての僕から見た経験についての捉え方の話だ。
もちろん、すべての仕事に対して経験とはこういうものだと言っているわけではない。
そこを踏まえて日記を読んでいただけると、大変有り難い。

鍼灸師の僕にとって、経験は?と問われると、僕はこう答えるだろう。
経験とは、僕にとっての財産だ、と。

ただし、経験と慣れとは違う。
経験とは、あくまで机の上の勉強では得ることのできない、毎日の実地によって得られる技術のことだ。
また、この技術が備わってこそ、初めて机の上で得た知識も活かせることもできる。
そういう意味では、僕にとっては技術は知識より一つ先に行っていなければ、知識を活かすことはできない。
僕はそう思っている。

大学卒業後、僕は尼崎にある治療院に弟子入りした。
一応、大学で一通り勉強し、知識もあった。
国家試験にも合格した。
だが、弟子入りしたばかりの僕は、最初そこでは、何もできなかった。
知識はあるのに、それを治療に活かすことができないのだ。

頭ではわかっていても、患者さんを目の前にすると、治療方針を立てることができない。
それどころか、針一つ打つのも手が震える。

院長は、そんな僕に毎日、毎日、同じことをさせた。
今考えれば、誰でもできるようなことだ。
それを、毎日、毎日させた。
頭で考えるのではなく、自然に身体が動くようになるまで。

今やっている治療の真意を訊くと怒られた。
余計なことは考えるなと。
そして、4年が経ち、初めて院長の助手を任された。
驚いたのは、それまで院長が考えていた治療方針がわからなかったのに、4年経って院長の助手をして、院長が何を考えているかわかるようになっていた。

その時僕は思った。
毎日、当たり前だと思ってやっていることを、当たり前のようにできるようになることが、一番大切なことなんだと。
そして、それこそが経験であり、技術なんだと。

そこでは10年修業した。
院長は10年経った時、僕に開業を勧めた。
おそらく、鍼灸師の開業とすれば、僕は遅いほうだったと思う。
周りの同期は、開業していたから。

今、僕が今だにこの仕事で生計を立てていられるのは、あの時の経験があるからだ。
経験を財産に、今の仕事をしている。

院長は、あの時、何故僕に開業を勧めたか。
それは、僕にとって、あの環境が経験より慣れのほうが大きな比重を占め始めていたからだろう。

経験を積むのは、開業していたって積むことはできる。
患者さんが来てくださる限り、僕にとって、毎日が経験であり、財産なのだ。

そして、飛躍は経験という土台なしでは、羽ばたけないんじゃないだろか、と僕は考える。
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