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2013年03月30日02:10

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身近な人の死を考える

坂口さん、結腸癌で療養中だった…尾崎健夫と杏里「家族全員で頑張って参ります」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=42&from=diary&id=2375645

何人かの方も日記やつぶやきに、書いていらっしゃるが、昔は、有名人の訃報を知っても、それほど何も感じなかった。
それは、若い自分にとって、人の死というものがまだまだ遠い存在で、現実感を伴わないものだったからだろう。

たがこの歳になると、自分が知っている有名人の訃報を聞くと、いろいろと感じるものがある。
それだけ、僕が歳を取って、死というものを身近に感じるようになったからだろうか。

実は、坂口良子さんと僕の嫁のお母さんとは、同い歳だ。
僕は嫁とは7歳離れているので、僕の中では嫁のお母さんというのは、とても若いイメージがある。
そして、僕の母親は、今年で63歳になるから、坂口さんや嫁のお母さんと比べると、ずいぶん年上になる。

それでも、自分の母親というのは、いくつになっても元気で、いつまでも生きていてくれるように、子供というのは錯覚してしまうものだ。

実は僕の母親も、50代の頃、乳癌と子宮癌を患った。
幸い、どちらも早期癌だったので、手術後回復し、今も元気にしているが、母親が癌であることを聞かされた時、僕は動揺を隠せなかった。

それは、自分の中での一番身近な人がこの世の中から居なくなるかも知れないということ、そして、それについて僕自身、ただ母親が元気になることを祈るのみで、どうすることもできないというもどかしさがあった。

思えばあの時、僕は母親の死というものを考えることで、自分にとって親というのがどれだけ、かけがえのない大切な存在であったのかを痛感させられたのだ。
そして、その親はいつまでも生きていてくれるわけではないことも。

そんな僕も、今では自分が2人の息子の父親となった。
僕が親になったということは、息子から見て僕の父親や母親は、お祖父ちゃん、お祖母ちゃんということになる。
ちょうど、僕が息子くらいの時に見た、お祖父ちゃん、お祖母ちゃんを見るように、息子は僕の父親や母親を見ているのだろう。

こうして人は人生の中で、一歩ずつ立場を変え、いずれは死に近づいていく。

僕が親になったということは、父親や母親は、また死に近づいたということ。
そして、いつかは、別れの時がくる。

思えば、最近そういえば、毎日の生活に追われて、親に全然連絡を取ってなかった。
親はいつまでも元気にいてくれると思い込んでいた。
明日か明後日、もし時間があれば実家に電話してみようか。
孫の声を聞かせようか。
僕が今できることは、家族の元気な声を聞かせることくらいだから。
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