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2013年03月26日17:21

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ピンクを巡る旅



「あなたは私に会ってもおそらくまだ寂しい気がどこかでしているでしょう。私にはあなたのためにその寂しさを根元から引き抜いてあげるだけの力がないんだから。あなたはほかの方を向いていまに手を広げなければならなくなります。いまに私の家の方へは足が向かなくなります」

夏目漱石-こころ-



弥生の雨がピタピタ身体にまとわりついてくる。木瓜の花が一輪だけ凛と咲いた。生温い夜で世界は、気温と共に水分含有率を大幅に上げ、干からびた大地に何かの訪れを知らせようとしていた。

私は一人ベランダに煙草を持って、自分で拵えたベンチに腰掛けて、隣家で満開になった雨に打たれる生々しい桃色の枝垂桜を呆然と眺めている。ずっと同じビートで、雫が穴の空いた雨樋から溢れている。憂鬱を減らしてくれる、或いは紛らわしてくれる、と信じている煙草の煙が夜に混じり、悠然と暗闇に溶けた。思わず私も溶け出しそうになるが、寸前で踏みとどまる。どうも春は気持ちに変調を来たす。漠然と私を覆う孤独感に立ち向かう術は何処に見出したらいいのだろう?

私は一つの仮説を立ててみたりもする。大体そんな術はこの広大な世界にも、深遠な脳内世界にも、何処にも無いんじゃなかろうか、と。

私は悄然と屋内に入る。枕元に雑然と置いてあったアラーキーの冬の旅をパラパラ捲ると途方も無く、涙が鼻汁を伴ってこぼれ落ちた。それ等はヨーコ婦人の美しいポートレイトのページを滲ませた。養命酒を買った時に酒屋で貰ったカレンダーを見る。生理が近かっただろうか?何となく下腹部がモヤモヤ重い気がしたが、まだ大分流血には日があった。徐に傍らにあった、缶ビールを開け、幾つかの抗不安薬と共に嚥下する。私は一人で布団に横たわる。眼を閉じる。明日の事を、事は考えまいとする。

夢を見た。

大層酷い夢だった。

私は夢の中で、客観的に私を何処かから見つめていた。

自分を消しては愛想笑い、という産物で綱渡りの様に人間関係を構築してきた私。それを私は上手く誤魔化して、周囲に悟られずに生きていたつもりだったのに、何らかの原因でそれが露見し、散々罵詈雑言を浴びせられて、机を掃除用具の棚の前に持って行かれて私は一人、後ろ向きで授業を受けている。様々な物が私に投擲される。私は吐き気を堪えてそんなものは見たくも無いがそれを見なければならない。殺意を表情の見えないクラスメイト達に抱くが、顔は分からない。標的にされている自分の面持ちさえ認識出来ない。気づいたとき、クラスメイトの顔は総て能面の様な面構えの私になっていた。

「ああああああああああ」

と行って跳ね起きる。起きると隣に誰か居て、私は二重に吃驚し、

「ひゃああああああああ」

という声を足す。

「おぉおおおおおおおお」

と其処にいた人物は言った。

「・・・ふう」

と私は其処に居た人間を知覚し、弛緩した体で倒れこむように彼にしがみついた。

「どうしたのだ?悪夢か?」

私は声を出さずに頷く事で応答した。暫く私は震えが止まらず彼の身体にしがみついていた。彼からは雨の匂いがした。ベランダの縄梯子で登って来たのだろうか?漸く私は幾らか落ち着きを取り戻し、呼吸を整えた。こんな事が何時まで続くのだろう、と思うと益々厭世観に拍車がかかる。

「君はこんなの見ているから病になるんだよ」

と彼はアラーキーの写真集をパラパラ捲っていた。

写真撮る、という事を倣ったのはふうの影響だが、彼は著しく写真家やカメラの銘柄を憶えていない。ハルスマンや、エヴァンス、ブレッソン、モリヤマ、ゴチョウ・・・畢竟憶える気も無いのであろう。撮影機材にしたって黒くてデカイカメラ、とか黒くて小さいカメラ、とかそんなものだもの。

逆に私は、彼から聞いたバンドや音楽の種類がとてもとても憶えきれなくて辟易している。ビートルズとマイルス・ディヴィス、モーツァルトで、イッパイイッパイ。それ以上幾ら押し込んでも頭には陳列されなかった。

「梯子で登って来たの?」
「うん」

彼専用の縄梯子が私の家のベランダには掛けられている。基本的に戸締りをしない家だから、表からどうどうと(父親も母親も彼とは旧知なので)入ってくれば良さそうなものだけれど、彼は何故か昼でも、夜でも縄梯子で高校生の頃から登ってくるのだ。縄は何度か切れ、彼は幾度も落下し、それでも彼は執拗に、補強したり新たな縄梯子を設営したりした。

おかしな事だ。

そう、今日みたいな雨の日でも、嵐の日でも、雪の日でも。何となく私の体調が思わしくない日は特に。

私はのっそり起き上がってベランダに出た。彼も後から続いた。

煙草を出して、火を点ける。彼も同じ様に、私の煙草を抜いて口に咥えた。私はライターを態と、彼の伸びた髪が焦げる位の位置に近づける。

「あぶねーばかやろー」
「うるせーこのやろー」

と応戦し、私は漸く笑みが溢れる。彼は私の手から、ライターを剥ぎ取って自分で火を点けた。雨はいつの間にか止んでいた。そういえば私の勤める美容室のオーナーから委託されたブライダルのムービーの編集の仕事が残っていた事を思い出し、笑みは雲散霧消した。然しそれは私の本業の髪切りよりも時にお金が舞い込む事もあった。

「なんでこんなに寂しく、気怠く、刹那に世捨て人みたいになっちゃうと思う?」

私はボサボサの頭を無造作に手櫛で梳く。続けて彼の毛先を、煙草を持っていない手で弄んだ。先月私が彼に掛けたパーマも大分馴染んできた。彼もなんとも言えない表情で、夜の天を(点を?)見つめた。

「分からないよ」

と彼は言った。誠実な答えだった。

「分からないな」

と彼は繰り返した。

タール色の海中に沈んだ彼は、ナニカに触れ、真摯に怯えず、ソレを弄る。彼の華奢な9
本の指(エル・サルバトルで少年ゲリラに薬指を切り落とされたのだという)が満遍なく、隈なく、ソレを知覚しようとする。

(私達、僕達)-に限って言えば-は万能じゃない。万能なんかじゃない。創造主でも無ければ、絶対的なナニカを盲信しているわけでもない。限る、という事を分かってしまっているが故に生きている、と言っても過言ではない。無限程だって恐いモノ無いだろう?限りない、ナニカがソコにあったとして、果たしてそれは全くの、(私や僕)が想像するようなソレは自由になりうるのだろうか?でも限られた経過の中での、束縛は私を大層疲弊させてしまう。それが実際、自由という範疇内の出来事だと区分出来るのか、出来ないのか、そんなのは凡そ自分のさじ加減なのだろうと。でも私は理解しなきゃいけない。現実は痛みを伴うモノだと。経年劣化と共にそれは身体に滲み浸透していく。何時か、何時の間にか忘れてしまおうとしている私が此処にはある。現実は痛みを伴う、だから此処から逃れなきゃ、と。

「分からない、という事すら分からなくなってしまう。何れ。凡そ分かる、という事は限られてくるし、分からなくても済んでしまう。その領域は特に僕達に必要じゃ無い事柄だ。営業のサラリーマンが例えば、飛躍した物事の捉え方だけれど、ヴィトゲンシュタインを知らなくても良いし、分子生物工学を熟知しなくても構わない。イスラムの経典に精通する必要も無いわけだし、老子の思想に突き動かされなくても成績は上げられる。不安が消える魔法とか、具体的なSWOTを使ったマーケティングだとか、あの子の長靴の絶妙な色合いだとか、マルジェラの新作のカットソーとか。即物的な事柄の方が大いに意味が在る」
「でも知は連鎖していく。私は自分の謎を解こう、と思ったら世界の謎を一つ一つ解かなきゃならないような焦燥に駆られる」
「WHO。とても正気を保つのは難しい。正気を保つ・・・お前は此処で更に正気、という概念について解き明かそうとするのかもしれないけれど、一旦それは置いて、一般的な普遍の正気、という事にしよう。ひょっとしたら皆結構ぎりぎりの箇所で正気を保っているのかも知れない。世界は広く、それから深い。9/11にワールドトレードセンターに飛行機が突っ込む。戦争だ、と人は言う。ビルディングは瓦解して多くの一般的な人が死ぬ。此処では直接戦争に携わらない人、とでも仮定しよう。ブッシュは怒った。これは戦争だ、と。だから攻撃をしてきた(悪)は根絶やしにしなければならない。悪・・・だ。これは悪だと。人が死ぬ、無差別に自国を飛び回る空飛ぶ機械が乗っ取られて、建物に突っ込む。これは悪なんだ。何故、悪なのか?多くの人が突然、理由も無く殺されるからだ。悪とは何だ。天災的な悪では無い。人道的に道徳的な悪だ。悪い事、しては行けないこと?善い事、それはすべき事?一旦これも此処で置く。悪、というのは悪いという大まかなイメージがあるし、事実、誰かが・・・例えば足の悪い老人に足払いをして、金を奪い、逃げる。コレは悪、そしてソレを追い、彼をぶちのめす男は善い人間、道徳的に」
「でも、道徳、という観念は恐らく其処で吟味されている。ヤル側はね?これは道徳的に悪い事だと、そしてそれをそこで捨てている。そうしたら、その時点でそれはもう、道徳がそれを裁く事は出来ないのでは無いかしら?だってそれは考量に入れられて、道徳的な価値より、他の価値の方が優った。ただ・・・それだけよ・・・」
「まぁ聞け。それで終わりじゃ無い。そう、ブッシュ君は怒った。怒った。まぁそれで戦争になるわけだが。国際法の観点から言えば、ブッシュには戦争は起こせない。起こしても構わないが、法的には裁かれる。それは国連憲章の51条に表記されている。報復の為の戦争は、戦争が継続していない限り認められない。予防的な正当防衛も認められていない。これは明らかに国際法違反だ。ブッシュは裁かれただろうか?んーん。オイルビジネスで沢山肥えている。兵士も沢山国外に飛び出した。無論、そこに至るまでの国際的な関係もあるだろう。さて、もう此処で法、という規範は守られていない。法っていうのは、道徳を一先ず置いて、コレをこうしたら、こういう法律が適用されますよ?ってものだ。でもそれすら稼働していない。いいか、一義的に見たら、それは復讐も許され得る心情になりえるかもしれない。無関係な家族が巻き添えになり、ビルディングの瓦礫の下に沈み、無垢な子供の脳漿は圧力で飛び出す。誰が哀しくならないだろう?液晶画面から見る悲痛な叫びに誰が憤りを通り越せるだろう?でもだからと言って其処で戦争を他国と法律では始める事は出来ない。けれどアメリカは裁かれて居ない。同じ要領で、母親を殺されて、殺した奴を殺し返したらでも捕まるだろう。どんな理由があっても。情状酌量はあるかもしれないけれどね。加害者(逆説的だが)は言う。アメリカでは沢山死んだらいいのか?と。でも海の向こう側の大きな権力の下では、これが罷り通る。勿論国に因って法律は違う。でも復讐には違い無い。尚且つ戦争になれば、一般市民も空爆の余波を受け、銃弾の嵐に曝され、地雷を踏む。アメリカの敵国では、意思統率され駆り出された少年兵達は、立ち向かえば銃殺、引き下がっても銃殺。僕達は黙殺。さて、そう考えたら何が現実的な真実で、何が道徳だろうか?道徳的な非難とは結局何処まで無効になった道徳を、アラタナ道徳で突き詰めれば終わるのだろうか?俺は正気を保っているか?寧ろこんな思考は既にコノヨで狂気なんじゃ無いだろうか?」

彼は言った。

私はその残響に全身を浸していた。

「では行く」
「何処に・・・?」

私は狼狽する。

「独りは大事だ。大事にした方がいい」
「貴方が居なかったら生きられない」
「そんな事無い」

ふうは笑った。

「でも今の話は大まかに分かったけれど、それと寂しくて貴方を渇望する事にはどんな関連付がなされるの?」
「どうだろう?繋がっている気もするし、遥か彼方の対岸の火事みたいな気もするよ。でも国際政治学を述べる気も無いし、相互理解や、文化衝突の側面であっても俺が言いたいのはそんな事じゃ無い。もっとミニマムなプライベートな事象だよ」
「ミニマムなプライベート??・・・私は私の隣に居て!って言っているだけでしょう?フラフラしてないで!」
「WHOの隣に居たいから世界を転々としている。俺のエゴだけれど。自分の存在意義も分からないままお前の隣に居ても何時か俺は駄目になってしまう気がする。お前は綺麗だから、そのうち誰かに持ってかれちゃう気もするよ。そんなのも見たく無いしな」
「じゃあちゃんと離さないで縛りなさいよ!!このくそやろー!!」

面倒な男だな、と思い、更に面倒な男を愛したな、と真剣に憤怒と寂寥が脳裏に満ちた。

そして彼はヒョイと欄干の向こうに立ち、ちょっと曇った顔で私を見た。

「俺にも色々良く分からないんだ」

彼はそう言って手摺に手を掛けて縄梯子を下って行った。

「・・・何処に行くの?」

私から怒気は消え、漠然とした暗澹たる不安のみが残留物として蓄積した。

「ピンクを見に」
「ピンク・・・?」
「桜」
「あるじゃない!!其処らじゅうに!!近辺に!!もう咲くわよ!!ソメイヨシノ!ソメイヨシノ!」

呆れて声を荒げる。

「でも遠い場所にもピンクはある。俺が知らないだけで。少なくとも御室桜は此処には無いだろう?」
「待っていれば此処らも咲くわよ!!御室桜も私が植樹するから!!」
「待つより、俺は迎えたい」
「・・・」
「西に」

そう言って彼はある程度の場所まで下ると梯子から飛び降りた。

暗がりに目を凝らす。黒っぽい服を着ているので彼の夜との同化具合は中々のモノだ。

「お前も来たらいい。何処かで待っている。おやすみ」

地面に立った彼はそう言って彼は闇に紛れて行った。

私は溜息を吐く。

大きく。大きな。それは大きな虚無を伴って。



翌朝、雨はすっかり上がっていた。庭には母の植えた春の花が燦々と陽光を浴びてピンと色取り取りの主張をしていた。冷え込みも弱く春の訪れが近い事を私は知る。何時もの様に八時半に家を出、歩いてほど近い職場に向かう。ストールを薄い春物にした。少しだけ陽気な気分になったが、瞬時、沈降する。

店に着き、レジ開けをして、予約を確認する。平日にしては珍しく、昼まで私の予約は埋まっていた。そんな雑務をしていると皆がよろよろ出勤しだす。巨大な窓ガラスから道を挟んで対角線にある神社を見た。此処は境内に桜が咲き乱れる。まだ蕾だろうか?ふうも、もうちょっと待って此処で花でも見りゃいいのに。

私は相も変わらずどうでも良いお客さんの世間のトリビアに付き合い、昼までの予約を終えた。お客さんを見送る時に、風に紛れて一枚ピンクの花びらが店内に入ってきた。私はそれを拾う。

(待つより迎えに行きたい)

私は彼の言葉を反芻する。

丁度オーナーが別の店舗から、顔を出しに来た。

「オーナー休みもらえます?」
「いいよ。何時から」
「これから」
「これから?」
「これから」
「ふう君だな?」
「ふう君です」

彼とふう君は仲良しなのである。時々酷い時は二人揃って姿を消す。

「店長なのに突然の休暇申請。狂っているな。でも俺は狂っている奴が好きだから好きなだけ行って来い」

私は頭を垂れた。

「どうした?」
「オーナー」
「ん?」
「私狂っていると思いますか?それとも正気でしょうか?」
「そうだな。ふう君も、君も狭間だ」
「狭間・・・」
「俺まで行くともう狂っているけどなぁ」

と興味無さそうに、事務所の机に踏ん反り返って興味無さそうに呟き、海外のアダルトサイトを観だした。

「パソコンだけ持ってけよ。ブライダルのデータだけは送ってくれ」
「ありがとうございます」

私は気怠そうなオーナーに礼を述べて、スタッフに家族が危篤だと大嘘を吐いて店を出た。

(待つのは苦手なんだ。迎えたい)

そりゃふう君、自分の事でしょう?と私は勝手に解釈する。憶測だが、でもそんな風にでも思わなきゃ恋愛なんてやってらんない。ちょっとした弾みで崩壊しそうな信念を、只管エゴイスティックな意志で押し通す。

通りを横切って神社に行き、IPhoneを取り出す。呼び出し音が鳴る。

「はーい?」
「行く。一緒に行く。兎に角行く。反論、異論は認めない。何処?」

彼は答える代わりにとても楽しそうに笑って

「WHO」

と私の名前を詠んだ。

私は頭上を見上げた。

蕾だと思っていた桜はもう大分大きく淡くピンクに咲いていた。




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