mixiユーザー(id:47361257)

2013年03月21日18:16

32 view

いじめについての私見

同級生から70万円脅し取られる
http://news.mixi.jp/view_news
.pl?media_id=2&from=diary&id=2365471

いじめについて、少し私見を述べてみたい。
ただし、今から書くのは、あくまで私見なので、読んでいただいた方の共感を得られるかはわからないので、あしからず。

僕自身、これまでにいじめに遭ったことがない。
だから、いじめに遭った人の心理状態というのが、本当のところで理解しているわけではない。

唯一、僕がいじめられたと感じるような出来事があったとすれば、それは小学校に入学したての頃。
僕が学校からの帰り道、一人で歩いていると、後ろから上級生の子がやってきて、僕の通学帽を取っていった。
僕が「返して」と言っても、その子は走って逃げていく。
僕は追いかけたが、どんどん引き離される。
しばらく行ったところで、その上級生は、持っていた縦笛を使って、僕の帽子を電柱から出ている杭に引っ掛けた。
そして、「そんなに返して欲しかったら、取ってみろ。」と言って、そのまま去ってしまった。
もちろん、僕の身長では、その帽子に手が届かない。
僕は、悔しさと惨めな気持ちで、電柱の傍で泣いていた。
そこに、たまたま近所のお兄ちゃんが通りかかった。
お兄ちゃんは、僕の帽子を取ってくれた。

実は、この出来事は結局、親に話すことはなかった。
親に話すことで、いじめられた自分がもっともっと惨めな気持ちになるからだった。
そして、話すことで、その上級生からの仕返しを、何処かで怖れていたのかもしれない。
たったこれだけのことで、人によっては、それはからかわれただけでいじめじゃないと言う人もいるだろう。
だが、当時の僕にとっては、たったこれだけのことが悔しくて惨めだった。

この記事の中で、多くの人が書いているが、これはいじめではない。
立派な犯罪だ。
傷害であり、恐喝事件だ。

僕は、"いじめ"という言葉が嫌いだ。
この言葉には、多分に加害者目線から見た、被害者への蔑みの意味が込められているような気がしてならないのだ。
そして、この言葉によって被害者は、より惨めな気持ちになる。
何故、不当に被害に遭った側が、こんなに被害を訴えることが難しいのか。
その一端には、いじめを認め、それを親に話すことで、自分をより惨めな気持ちにする、そんな被害者の心理状態もあるんじゃないだろうか。
人間、誰だって自尊心があるし、プライドがある。
それは、いじめに遭っている被害者も同じだ。

学校は、再発防止に努め、生徒たちがいじめを許さないということを真に理解するように指導するらしい。

だが、これはいじめの枠を越えている。
れっきとした傷害事件であり、恐喝事件であり、学校で指導できる範疇を越えた刑事事件だ。
学校はそれを認めた上で、いじめでなく事件として、警察の捜査に委ねるべきだ。

これをいじめとするのは、結果として加害者を護ることになる。
そして、指導という名で、事件を曖昧する。
しかも、被害に遭った少年は、これだけの凶悪事件の被害者でありながら、いじめに遭った少年ということでうやむやにされてしまうのだ。

いじめという言葉が少年にとって、惨めな気持ちにさせるなら、学校は事を曖昧にすることで、より被害に遭った少年の自尊心を傷つける。

大切なのは、こうした行為が傷害事件であり、恐喝事件で、やった生徒は厳しく罰せられることだ。
それは、その他の生徒の心にも、きちんと刻みこまれるだろう。
いじめは、犯罪であるということを。
そして被害者が被害者としてきちんと被害を訴えることができるようにならないと、こうした事件は教訓に変わることはない。
17 4

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する