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2013年03月03日14:17

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短絡的な考えの果てに

■吉祥寺の女性刺殺、逃走の少年逮捕…警察に出頭
(読売新聞 - 03月03日 09:16)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=20&from=diary&id=2343943

僕がまだ独身の頃の話。

昔付き合っていた彼女が、平日の夕方に僕の部屋に遊びに来た。
僕はまだ仕事だったので、部屋には居なかったのだが、彼女は僕の部屋の鍵を持っていた。

最寄りの駅を降りて、彼女は僕の部屋のあるマンションまで歩く。
線路沿いの一本道、夕方でも人通りは少ない。
その時、後ろで気配がした。
彼女がアッと言う間もなく、彼女の後ろから自転車に乗った若い男が、彼女の肩から提げているショルダーバッグを引ったくり、そのまま猛スピードで前方に去っていった。

「ドロボー!!誰かつかまえて!!」

彼女は大声で叫んだ。

ちょうどその時、前方からサラリーマン風の男性3人組が歩いてきて、彼女の声を聞いて、その自転車の男を取り押さえてくれた。

当時、僕が住んでいた尼崎では引ったくりが多発していた。

だが、引ったくりならまだマシな方かもしれない。
この事件のように、背後からナイフでグサッとやられたら、と思うと本当にゾッとする。
確かに、あの時の彼女のように大声で叫ばれることを考えたら、ナイフでグサッとやったほうが手っ取り早い。

だが、その考えは、普通の考えからすれば、あまりに後先を考えない、短絡的な考えだ。
そして、その考えから実際に行動に移せるなんて、本当に恐るべきことだ。

例えば、目の前に人形があるとする。
僕は、その人形に対して、ナイフを突き立てることさえ、恐ろしく躊躇われる。
それは、人形に命があるなしに関わらず、自分が人の形をしたものに、平気でナイフを突き立てることのできる精神性に異常を感じ、恐ろしさを覚えるのだ。
あなたは、どうだろうか?

況してや、そこに殺意があろうとなかろうと、人に対してナイフを突き立てられることは、僕にはできない。
そして僕は、そう思う自分の感覚こそが、人として当たり前の感覚だと信じている。

この事件の恐ろしいのは、金欲しさの為とはいえ、普通なら躊躇われるような短絡的な考えをあまりに簡単に実行してしまうこと。
そこに、人としての大切な何かが欠落した人間を見るようであまりに恐ろしい。

最近、自分の命だけでなく他人の命も含め、あまりに人の命というものを軽く考えているような事件が増えたと感じるのは、僕だけなんだろうか。
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