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2012年12月24日06:39

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大河「平清盛」終わる

 2日。夕食を摂りながら、大河「平清盛」第47回を鑑賞。

 1180年、頼朝の挙兵を知った清盛は、戦経験の無い孫の維盛を総大将として追討軍を派遣。油断しきっているのか、与えた兵は少数。

 一方、頼朝は石橋山で負け死にかけたが、東国各地で次々と反平家の武士たちが決起し合流して来た。2万以上に膨れ上がった源氏軍は駿河富士川を挟んで平家軍と対峙する。しかし兵糧不足に悩み、かつ相手の兵力におじけづく平家軍(一説によると1000人程度しか居なかったとも。だったら、維盛じゃなくっても、そりゃおじけづくよね)は、戦闘前に水鳥の羽音に驚き戦わずして逃げ帰る。

 激怒する清盛だが、家臣の伊藤忠清から清盛自身がもはや武士ではないと批判を浴びる。一方頼朝は弟・義経と対面する。。。

→ 長らく武家同士の闘いをして来なかった平家が、完全に油断しきっていて、戦の感覚・技量を失っていたことが描かれる。さもありなん。でも、どーも頼朝があれだけ兵を集められる、というのが謎。兵を起こすにも相当資金が要るでしょうに。父親・義朝の威光や人脈が残っていた、ということ?

 あと、頼朝が義経のことをなぜ弟だとすぐ信じたのか?も不思議。当時は戸籍もなければDNA鑑定も何も無いんだから。共通の知り合いでもいたのかな?あ、顔がソックリだったのかも。




 9日。夕食を摂りながら大河「平清盛」第48回を鑑賞。

 富士川の戦いで大敗した平家。さらに高倉上皇も危篤となり、棟梁の宗盛は公家達の要望、さらに平安京防衛のため、都を京に戻すべきだと涙ながらに清盛に訴える。清盛は悩んだ末、自身の生涯をかけた都・福原を放棄する。

 一方、頼朝は東国を平定するべく、信賞必罰、源氏に協力した武将に所領を与えるなどして、鎌倉で新たな国づくりを始めていた。ある日、頼朝は義経の供でやって来た弁慶から、若き日の清盛の話を聞かされる。祇園闘乱事件で神輿に矢を放ち、武士の世の到来を願っていた清盛。頼朝は、清盛の志を受け継ぐのは自分だと考える。

 そんな中、清盛のもとに、南都・興福寺を攻めた平家軍が、あやまって東大寺の大仏殿を炎上させてしまたという知らせが届く。

→ 清盛の悪役っぷりが浅い点と、頼朝が急に有能になるのが納得行かない、の2点が気になるけれど。それを除けば良い出来。

 ただ、この2点が、かなり大きい。清盛の子達の印象が浅いのは史実もそうだし仕方ないんだけど。清盛と頼朝の描き方が浅いのは、このドラマにとって大きな欠点に感じられる。役者の演技を批判する人もいる(文句を言ってるクセに、全部見ている様子なのが微笑ましい)ようだけど、私は、これは脚本の問題だと思う。




 16日。夕食を摂りながら大河「平清盛」第49回(ラス前)を鑑賞。

 1181年、源氏の決起、平家による南都の焼き討ちなどで、反平家の機運が国中に漲る。そんな中、清盛の頼みの綱だった高倉上皇がわずか21歳で死去。平家の思うような詔勅を出せなくなる。やむを得ず幽閉していた後白河法皇を復権させるが、彼は力を失いつつある清盛を挑発する。

 一方、鎌倉の頼朝の下には、続々と東国武士たちが集まる。頼朝は彼らを家人ではなく御家人と呼び、新たな「武士の世」の政治体制を作り始めていた。

 頼朝の国づくりを西行から伝え聞いた清盛は、亡き義朝と誓い合った武士の世を、頼朝もまた目指していることを知り、複雑な思いを抱く。後白河法皇と対面した清盛は、これより先は朝廷は力を失い武士同士が覇権を争う世になると語り、双六勝負はこれで最後だと告げる。そんな中、清盛は突然の熱病で意識を失う。

→ やはり頼朝が突然有能になったり、威厳が出て来たのがとても不自然。。。平家の驕り高ぶった様子の描き方も薄いし。清盛の狂い方ももっと誇張しても良い気がする。つまり、ややメリハリに欠ける脚本。

 ただ、映像は一貫して美しいし、役者陣も大根がおらず皆さん熱演。




 23日。夕食を摂りながら、大河「平清盛」最終回を鑑賞。

 1181年1月、清盛は熱病で死の淵にいた。生き霊となり伊勢の西行の元に現れ、自らの死期の近さを悟った清盛は西行に遺言を託す。自らの身体に戻った清盛は、頼朝の首を墓前に供えよと叫んだ後、同年閏2月、世を去る。その死を悼む一門の前に西行がやって来て、皆に遺言を伝える。

 4年後、壇ノ浦で平家のほとんどは滅亡。清盛の異母弟・頼盛は頼朝に下り生き延びる。頼朝は義経を追討し、幕府を開く。そんなある日、頼朝のもとに西行が訪ねてくる。。。

→ 清盛の遺言までで半分を占め、後は駆け足。木曽義仲などはまったく出て来ない。相変わらず役者と映像は素晴らしい。脚本にはやや疑問、と思っていたけど、時代考証担当者の書いた本(明日の日記で感想を書きます)を読むと、あれで仕方ないのかも。

 にしても、1年、楽しませて頂きました<m(__)m>。視聴率は最低だったけど、大河史上屈指の傑作だったと思う。
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