mixiユーザー(id:148348)

2012年11月10日22:55

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宗教教役者にならない訳

僕が宗教教役者にならない訳。

それは、僕が、partylineだけを
説くことに違和感を感じるからです。

partyline、すなわち、教会のオフィシャルな
解釈をそのまま鵜呑みにして
説くということ。

例えば、先日、某友人に、
「死後の世界はあるのか?」
と訊かれました。

耶蘇寺のpartyline的には、
人は死して永い眠りに就き、
イエス・キリストが復活したときには
一緒に死者達も復活して、
審判を受けて、ある者は天国に行き
ある者は地獄に行きます。

と答えることになるのですが、

非信者である彼に、僕はそんなことを
説きたくないのです。

まずは、いろんなものを実感していただきたい。

死者が「いる」と感じる瞬間があるかどうか。

もし全く無いのだったらそれはそれで終わり。

人間は生きているときにだけ生きていて
死んだら何も無くなってしまう。
死後の世界は無いと考えるのが妥当になる。

他方、もし死者が我々の身近にいることを
実感することがあるとしたら、
次は、キリスト教だの仏教だの他の宗教だのの
「死生観」を聞いてみて納得するか、
もし納得できなければ、自分なりに
色々想像していけばいいだけのこと。

特に「宗教」が扱ってる死後の世界というのは、
実証科学的に証明されたものでもなんでもなく、
でも、各宗教内で、経験的に、「一番信じ易い教義」
が設定されてるだけなのだから。

という感じで、特に宗教を持っていない人には
様々な可能性を否定しない形で接したいし、

また他宗教を持っている人に
ハナから否定して掛かって議論する気もない。

という感じで、全く、一つの宗教を
伝えていくにはふさわしいようにできていないのです。
僕という人間は。
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