■高1男子が自殺=ノートに「赤点」―金沢・星稜高
(時事通信社 - 10月19日 01:05)
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自殺について書く。
僕は、死ぬのが怖くて怖くてたまらない。
自分の死が訪れるその瞬間を想像するだに恐ろしいし、その死がどんな状況で訪れるのか、病気なのか、事故なのか、考えたくもない。
ただ、自分の死の選択肢の中に、今のところ自殺はない。
人は、皆、死が怖いのではないか、と僕は思っている。
それでも、自分の死の選択肢に自殺を選ぶのは、その人にとって、余程のことがあるのだろう。
もしかしたら、鬱病があるのかもしれない。
また、人には言えない悩みを抱えてたり、精神的に追い詰められていたり。
僕が自殺について、今のところ自分の死の選択肢にない、と書いたのは、この先はわからないということだ。
こんなに、死ぬのが怖くて怖くてたまらない僕でも、もしかしたら、精神的に追い詰められたら、衝動的に自殺をするかもしれない。
人の気持ちは、移ろいやすく、僕の本当の気持ちは、胡乱で自分で本当にわかっているようでわかっていない。
ただ、人に説明するのに、それらしい理由をつけているだけだ。
だから、昔の僕と今の僕の気持ちは、同じではないはずだ。
そして、今の僕と10年後の僕の気持ちは、同じではないだろう。
思えば、僕が高校生の頃、世の中がこんなに広いものだとは思っていなかった。
高校生の僕にとって、世の中は、学生生活での出来事が大部分を占めていた。
将来の進路は、漠然としていて掴みどころがなく、進路を示す基準は、学力であり、学校の成績だった。
勉強のできなかった僕にとって、将来の進路は、明るいものではなく、なかなか抜け出せないトンネルのように暗かった。
学校の成績くらいで、将来が決まるわけでないし、勉強なんて社会に出れば関係ない。
こんな風に考えられるようになったのは、今、僕が社会人になり、社会人の視点から過去の高校生活を見ているからだ。
高校生の僕には、こんなことわかりようもない。
人の気持ちは、時間と共に移ろい変わってゆく。
高校生の中には、いじめを苦にして自殺する子もいれば、今回のように成績を苦にして自殺する子もいる。
共通するのは、この子たちの世の中は、学生生活での出来事を中心に回っているということだ。
学生生活で起こったことは、その子の人生では重大事なのだ。
僕らにとって、学生の頃の成績なんて、遠い過去の思い出で、こんなことで自殺するなんて考えられない。
だが、この高校生の中では、今の人生の中での重大事なんだろう。
これは、僕ら社会人が社会の中で精神的に追い詰められる状況とよく似ているのかもしれない。
だからと言って、僕は自殺を肯定するわけではない。
自殺というのは、その字の通り、自分で自分の命を殺める殺人行為だ。
そして、周りの遺族、つまりお父さんやお母さん、兄弟、そして、友達を深く悲しませるという点では、他人を殺害する行為と変わりなく、決して美化できるものではない。
それでも人は、時には自殺したいと思うくらい追い詰められることがある。
僕は、僕の命が自分だけのものではないと、強く思い生きていきたい。
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