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2012年10月04日16:32

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子育てをコミュニティとして考えてみる

■9歳と9か月の女児、母親に刺され死亡
(読売新聞 - 10月03日 22:48)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=20&from=diary&id=2175870

僕の実家の隣の家は、昔畳屋だった。
両親とも、自営業で忙しかったため、隣の家の子供をよくウチの母親が預かっていた。

僕が幼稚園児くらいだった時は、昼御飯、晩御飯だけでなく、お風呂も僕の母親が隣の家の子供を入れていたことを、幼心によく憶えている。

僕は、京都の田舎で育ったので、こうした近所での家族ぐるみの付き合いを当たり前のように思っていた。
子供というものを家族という単位だけでなく、近所というコミュニティの単位で考えていたような気がする。

だから、近くの家の子供が騒いでいても、お互い様ということで、誰も怒鳴りこんできたり、迷惑がられたりしなかった。
それどころか、僕らが悪さをしていると、よく近所のオッチャンに怒られたりしたもんだった。

要は、近所付き合いというのが、今と比べると密だったのだろう。
これが、もしかすると子育てに大きな貢献をしていたのかもしれない。

少なくとも、僕の子供の頃は、近所の人が子供の状況を把握していた。
虐待もなかったし、もしあったとしても、近所の誰かが子供の様子がおかしいことに、すぐに気付いたことだろう。


今、僕は、実家を離れ、嫁と息子2人、4人家族で暮らしている。
家は、いわゆる新興住宅で、近隣の方は僕と同世代、子供がおられる家が殆どだ。

だが、近所付き合いは、やはり昔と比べると密とは言えない。
もちろん、近所で顔を合わせると挨拶はするし、立ち話もする。
公園で、子供たちは一緒に遊ぶし、嫁なんかご近所さん同士でお茶をしたりしているそうだ。

まだ、僕の住んでいる所は、近所付き合いをしているほうかもしれない。
少なくとも、それぞれの世帯で子育てを通して、お互い様という気持ちがあるし、こども会などの行事には、皆さん積極的に参加されるから。


僕は、子育てというのを簡単に思い過ぎていた。
自分一人で勝手に育って、大きくなったような顔をしていた。

しかし、実際に子供を持つと、子育ての大変さ、親のありがたみがよくわかる。
僕が、普通に当たり前のように大きくなったのは、そういう風に育ててくれた親がいて、環境があったからだ。

しかし、こうした事件を目にすると、子育てとはそんなに難しいものなのかとも思ってしまう。
ここまで母親は、追い詰められてしまうものなのかと。

子供は、母親だけで育てるものではない。
父親や祖父母がいて、共に育てていくものだ。それが家族だ。
だが、家というのはコミュニティの中にある。
僕らは、子供たちをコミュニティの中で共に協力して育てるという意識を持つべきなのかもしれない。

子供の笑顔があるコミュニティには、活力があり、明るさがある。
今の日本には、この子供の笑顔が必要な気がする。
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