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2012年09月27日20:32

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死刑について思うこと

■2人の死刑執行=「悪霊払い」江藤死刑囚ら―女性で4人目・法務省
(時事通信社 - 09月27日 11:05)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=2168165&media_id=4

mixiの日記の中でも、多くの方が書かれているが、日本は法治国家だ。
その法の下、裁判が行われ、極刑が確定した。
被告にとって、極刑は、裁判で妥当な量刑と判断されたのだ。

そして、日本での極刑は死刑である。

法務大臣は、その死刑囚への死刑の執行権を持っていると共に、それが法務大臣の職務の一つでもある。
だから、いくら法務大臣の職を辞することが決まっていようと、法務大臣である限りは、その職務を粛々と遂行することに、何ら非難される筋合いはない。

むしろ、極刑としての死刑の是非を検討しつつ、法務大臣の職務を遂行するスタンスは、僕は法務大臣としてあるべき姿だと僕は思う。

だが、やはり"本日、二名の死刑囚の死刑が執行されました。"というニュースを目にしたり、耳にしたりすると、思うところもある。

それは、やはり死刑囚はどんな想いで死んでいったのだろうか、ということ。
死刑が確定し、死刑執行の宣告までの間、彼らは命乞いしたのだろうか。
そして、死にたくない、と思ったのだろうか。

僕らは、いずれはみんな死ぬ。
そして、僕はいずれはみんな死ぬはずの死が、とても怖い。
これだけは、絶対に避けようのない事実なのに、その死がとても怖いのだ。

僕は、人というのは多かれ少なかれ、死というのモノへの怖れはあるんじゃないかと思っている。
もちろんそれは、死刑囚にも言えることで、特に自分勝手な欲望の為に殺人を犯す人間は、より自分への死に恐怖を感じるのではないか、とも思っている。

まあ、すべてとは言わない。
中には、死刑を望んで、犯行に及ぶ人間もいる。
だが、そんな人間にも、自分の死を宣告される瞬間は、恐怖を感じるのではないか。
僕は、そう思っている。

そして、この死刑囚の恐怖こそ、死刑の最大の意義ではないか、と思う。
死刑囚によって命を奪われた人は、死刑よりももっと酷い方法で、その命を奪われた。
そして、不当に生きる権利を奪われたのだ。
亡くなった方は、きっと死にたくなかったし、死にゆくその瞬間まで、命乞いをしたろう。

死刑囚が、死刑の意味を知り、自分が犯した犯行の被害者の気持ちを知るとしたら、この瞬間かもしれない。

亡くなった方に罪を償うことはできない。
償うにしても、それは遺族であって、本人ではない。
であるなら、亡くなった方への罪の償いとして、死刑という極刑は意味があると思う。

執行の瞬間、もし死刑囚が命乞いするなら、それは復讐でなく、被害者の気持ちを死刑囚は知るということ。
被害者は、命乞いをしたのだ。

そして、僕は執行方法はどうあれ、死刑というのは、残酷で是非を議論すべきと思う。
それは当たり前で、人の命とは尊いのだ。
命が尊いものであるからこそ、死刑には意味がある。

死刑が執行されても、被害者の命は還ってこない。
だから、遺族には虚しさがあるかも知れない。

だが、命はそれほど尊く、一度失った命は還ってこない。
それは、被害者も死刑囚の命も一緒だ。

死刑とはそれくらいの刑であってこそ、極刑の意味があるような気がする。
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