■4歳女児、親に放置され死亡…体重わずか8キロ
(読売新聞 - 09月21日 01:19)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=2161257&media_id=20
僕には2人の息子がいる。
3歳のはるちゃん、1歳のみのりくんという。
何度か日記で書いたこともあるのだが、僕は元々、子供が嫌いというより、苦手だった。
どう接して良いのかわからないのだ。
独身の頃、町の公園などで、小さな子供とお父さんが楽しそうに遊んでたりする姿を見かけると、はたして、将来自分にああいうことが自然にできるのか、と疑問に思ったことが何度もある。
だが、こうして2人の息子の父親になってみると、僕は、あの時見た公園の風景と全く同じように子供と遊んでいる自分に気付く。
人というのはこんなに変わるものなのか。
我ながらビックリする。
よく新聞やテレビのニュースで自分の命と引き換えに我が子の命を助ける父親の記事を見かけるが、独身の頃、僕はこの気持ちが理解できなかった。
何と言っても、人は自分の命が一番可愛いものなのだ、と思っていたからだ。
だが、父親となった今、自分の命よりも大切なものがあるとするなら、それは家族であり、わが息子たちである、と思えるようになってきた。
これが息子たちと僕を繋ぐ絆というものなんだろうか。
たとえ、命と引き換えとまではいかなくても、親ならば我が子の為にという気持ちは誰だって持っているだろう。
それは、僕だけの特別な感情ではないはずだ。
目の前で、我が子がお腹を空かせて泣いていたら、自分の食事を割いてでも、我が子に与えたいと思う気持ち。
これは、僕だけではないはずだ。
先日、家族で鳥取の境港に遊びに行った。
帰るまでに少し時間があったので、境港の砂浜へ海を見に行くことになった。
鳥取砂丘とまではいかないが、海岸にはキレイな砂浜が広がり、その向こうに波が砂浜に打ち寄せる音が聞こえる。
3歳のはるちゃんは、その海岸で貝殻を拾っていた。
もう海に入る季節は過ぎ、波もすこし時化ていた。だから、海には近付かないように、はるちゃんには言っていたのだが、はるちゃんは、貝殻を採るのに夢中になっていたのだろう。
僕が少し目を離した間に、波が来る際の砂浜まで出て、貝殻を拾っていたのだ。
その時に少し大きな波が来た。
はるちゃんは、その波に足を獲られ転んだ。
転んだところに、次の波が。
「パパ〜〜!!」
はるちゃんが叫んだ時、僕がみた光景は、まさにその瞬間だった。
僕は、その時のはるちゃんの顔を忘れない。
端から見れば、砂浜の際で子供が転んだだけで、大した事はなかったのかも知れない。
だが、僕の目には必死に僕に助けを求めるはるちゃんの姿しか目に入らなかった。
僕は、考えるより先に海に向かって駆け出し、波に呑まれようとするはるちゃんを抱き抱えた。
2人とも全身ビショ濡れだ。
だが、僕にははるちゃんが助かれば、そんなことどうでも良かった。
僕は、自分の息子に対する愛情を再確認した。
帰り、並んで歩いていたはるちゃんが僕に、
「パパ。ありがとうね。はるちゃん、海の水、ちょっと飲んじゃったけど、海の水美味しかったわ。」と言った。
「そやけど、本当にパパ、ビックリしたよ。海は気を付けんとアカンな。」と僕。
すると、はるちゃんは、僕の近くに寄ってきて、
「パパは、はるちゃんがあぶない時、いつでも助けに来てくれるって言ってたもんな。パパ、ありがとうね。」
と言った。
そうだ。
親というのは、我が子がピンチの時、何をおいても助けに行く。
それが親というものだ。
僕は、親の我が子に対する愛情を信じたい。
こういった悲しい出来事があるたびに、強くそう思う。
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