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2012年09月18日20:25

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いじめっこが妙に優しい。荒れるに荒れられない。新手のいじめか?

親父が最近餅が美味いうまいとしょっちゅう食べている。入れ歯増えたのに。新手の息子孝行か?


消耗品として使われ、その合間の不要とされた日に買い物に出る。世間や暦では夏は終わったことになっているらしいけれど、日射しは何も変わっていない。でも、この頃あまりにも酷く冷房を浴び続けた身体はそんな日射しにもさほど汗をかかなくなってしまった。別にそれでも構いやしないとまた冷房の効いた店内に入る。目についた賞味期限の近い半額や三割引の品をカゴに放り込んでいく。ただ誰かを抱き締めて眠りたいと思う程の怠さが全身を覆い、それが誰であれば最も疲れが抜けていくだろうか、いや今の私では抜けるのではなく活力を搾り取る様なものかも知れないが、と想いながら店内を徘徊している。気付くと雑貨売り場に居た。売れ残りの花火が半額で大量に売られていた。そこに、消耗品としてすら消費されずに、時季が過ぎれば投げ売られ、残されればいずれ棄てられる存在に、自分の姿を見た。と言う訳ではなく、その花火を「安かったから」等と言い訳をして買って来ては一緒に楽しむ人間は居ないのだと、その事実だけが満たされた器に手を突っ込んだくらいハッキリとひたすらに実感してしまう。怠さが一段と増したので、歩き回れる内にその手で選んだ、必要な品をレジに持って行く。いつも半額商品ばかり買っても気にならないハズなのに、今日はとてもみすぼらしい人間に見えているんだろうと思う。悲しいわけでも辛いわけでもない。ただこれ以上浸した手に傷が付くのを恐れて、その実感に抗わないでいる。事実という水がひどくしみることも判っているから。

久々に改行位置を見つけられない様な事を書いたが内容は変わり映えしないのも何だか諦めに似た感覚を思い起こさせる。何を諦められないのが最も辛いことなのか、まだ答えは出ないし出したくない。
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