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2012年09月15日13:29

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人間性の中核が欠けている人間に更正は可能なのか?

■娘3人虐待、義父に懲役17年=殺虫剤針刺す「常軌逸した蛮行」―福岡地裁
(時事通信社 - 09月14日 17:05)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=2154874&media_id=4

2人の人間を殺した殺人者が、36歳の時点で社会に出てくるという、この国の量刑に問題はないのだろうか。

虐待の事実があり、それによって子供が亡くなる。
これは傷害致死なんだろうか。
殺意がないから殺人罪に問えないというなら、虐待に対して、厳しい罰が必要だ。

虐待を繰り返した結果、子供を死なせた男をあなたは、何と呼びますか?
僕は、人殺しと呼ぶ。
だが、日本の刑法はそうは思わないらしい。
あくまで、人を殴ってケガを負わせた結果、そのケガが元で亡くなってしまった、という場合と扱いはそう変わらないらしい。

今回の裁判でもそうだ。
何も情報がなく、ただ単に、足に殺虫剤の針を刺して噴射する、剥き出しの電気コードや熱したはんだごてを押し付ける、という行為だけ聞いて、あなたは、どう思うだろう。
僕は、どこの国の拷問かと、耳を疑う。
だが、これも傷害罪らしい。

よく、死刑の判決を下す判断として、被告に更正の余地を判断材料にすることがある。
ということは、裁判によって決める量刑というのは、罪を償うだけでなく、被告人の更正も目的としたものであるはずだ。

ならば、今回の事件は、前回の量刑を妥当性を裁判の中で追求すべきではないだろうか。
一つ言えることは、被告人が前回、自分が行ったことを反省し、与えられた量刑の中できちんと更正していれば、今回の事件は起こらなかったはずだ。
その責任の所在は、問われないのか。

裁判官は言う。
この男には、人間性の中核が欠けている、と。

はたして、そのような人間に更正は可能なのか。
しかも、17年という期間を決めて更正させることが可能なのか。
これは、犯した罪に対する量刑の妥当性だけでなく、この男によって再び被害者が出ないようにするという意味で、17年は妥当なのか。

僕は、このような行為を平気でできる人間に、更正はありえないと思っている。
それは、裁判官だって感じているはずだ。
人間性の中核が欠けている、とはそういうことだ。

そういった人間を社会に出すのは間違っていないのか?
それとも、僕が間違っているのだろうか。

17年後。
もし、この男が社会に出て、同じような虐待を繰り返した場合、僕は、裁判に関わった人は責任を取るべきだと思う。
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