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2012年09月14日16:48

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親切心とお節介の境界は?

■被災地のボール巡り消防隊員処分…持ち主は感謝
(読売新聞 - 09月14日 13:52)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=2154578&media_id=20

とかく世知辛い世の中になったものだ。


いつも御世話になっている患者さんから聞いた話。

駅で電車から降りて、エスカレーターのない階段を昇ろうと向かっていると、前方に大きな荷物を両手に持った、高齢の女性が見えた。

その患者さんは、親切心で、その荷物を持ってあげようと、女性に声をかけたのだが、凄い剣幕で睨まれ断られたらしい。
まあ、最近は親切心を逆手に取って、ひったくりをするような輩がいる世の中だ。
この女性の気持ちも理解できなくない。

何かのCMではないが、お節介と親切の境界は難しい。
こちらが親切心と思いしたことでも、相手にとって、それが親切であるとは限らない。
お節介や迷惑に取られることだってある。

思うに、親切する方も、される方も相手に対する心配りが必要だと思うのだ。
相手の気持ちを汲んで、お節介だと思いつつも、敢えてその親切心を受け入れる心のゆとりがなければ、親切はお節介になってしまう。

電車に乗っていて、高齢者に席を譲ろうとして断られている若者を見かけると、親切にも勇気がいる時代になったのか、とつい考えてしまう。

このニュースの消防隊員も、もしかしたらその1人かもしれない。
もちろん、ボールを持ち帰る際の報告を怠り、ボールを長期間に渡り放置していたと言われればそうだし、報告に関しては消防隊員に落ち度があったのかも知れない。

だが、ガレキの中、ボールを拾ってこの消防隊員が持ち帰らなければ、ボールはガレキと共に処分されていたかもしれないし、報告したところで、はたしてボールは持ち主の元に迅速に返還されたのか。

そう考えると、この消防隊員がボールを持ち帰って、1年2ヶ月かけて持ち主に返したというのは、僕は、純粋な親切心からの行動だと思う。

消防局は、この消防隊員の行動を相手に迷惑をかけたと謝罪しているが、はたしてそうだろうか。

持ち主のコーチは、感謝しているというのだ。
これは、消防隊員の行動の中に、消防隊員の親切心を汲んだからこその感謝の気持ちだろう。

もう一度書くが、親切する方も、親切される方も相手に対する心配りが必要なのだ。
まさに、今回は、消防隊員の親切心がボールの持ち主に届いたのだ。
そうではないだろうか。

これが訓告とはいえ、処分の対象になった。
決まりだから仕方ないのだろう。


だが、世知辛い世の中になったものだ。
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