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2012年09月12日18:48

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他人任せの法廷

■秋葉原無差別殺傷、2審も加藤被告に死刑
(読売新聞 - 09月12日 13:33)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=2151785&media_id=20

2008年6月8日。

忘れもしない、あの日僕は、嫁と京都競馬場に行っていた。
当時、嫁の義母が、競馬場のゲートのチケット売場で働いていたので、挨拶がてら馬を見に行こうということになったのだ。

その帰りの車中、ラジオでこの事件のことを知った。
僕が、この日の何気ない1日をこれほどまでに憶えているのは、その車中でのニュースの一報があまりにショッキングだったからだ。

無差別殺人を企てる殺人鬼が、繁華街を標的にしたら。
その非現実的とも言える恐怖を実際に現実のものとして目の当たりにしたのが、あの日、あの事件だった。

加藤被告にとって、あの事件の動機は一体何だったのか。
それを、加藤被告の口から被害者や被害者家族に向けて、実際に語られることはなかった。
加藤被告が裁判に出廷することなく、裁判が進められたからだ。

僕は、加藤被告というのは、本当に卑劣で卑怯な人間であると思う。

彼は、動機として、ネットの掲示板の荒らしであったり、社会における自分の不遇に対する不満が爆発したと言っているらしい。

確かにそうなのであろう。

だが、それは動機としては、あまりにキレイ過ぎやしないか。
結局のところ、加藤被告は、自分の今までの不遇をすべて他人のせいにし、社会や他人を逆恨みした結果、自暴自棄になり、自分のムシャクシャする気持ちや憂さを、無差別殺人という凶行で晴らしただけではないのか。

僕が加藤被告を卑劣で卑怯だと思うのは、こうした証言の一切を、すべて弁護士任せにし、法廷の被害者や被害者家族の前で証言しないことだ。

これは、加藤被告の今までの生き方を如実に表しているのではないだろうか。

つまり、加藤被告は、すべて他人任せなのだ。
今までの人生、おそらく他人に任せっきりで、自分で自分の行動の責任など取ったことがないのだろう。

これは、母親の育て方にも問題があったのかもしれない。
過保護に甘やかして育て、都合の悪いことはすべて母親が加藤被告の尻拭いをしてきたのかもしれない。

そうやって他人任せに生きてきた加藤被告は、自分の不遇すらも他人のせいにし、自分が犯した無差別殺人という罪も、きちんと向き合おうとせず、他人任せにする。

僕が加藤被告を卑劣で卑怯だと思うのは、加藤被告のこういうところだ。

今日の法廷でも、加藤被告は、出廷しなかったらしい。
この期に及んでも、加藤被告は、自分の責任を他人任せにしているのだ。

弁護士は言う。
加藤被告には、責任能力がない、と。

だが、それは違う。
加藤被告には、責任能力はある。
加藤被告は、自分の責任を他人任せにして、責任をとりたがらないのだ。
これで、被害者や被害者家族に対して、反省しているなど、どの口が言うのだろう。

もし、この裁判が上告されるなら。
弁護士は、加藤被告を引き摺ってでも、法廷に出廷させるべきだ。
彼に自分の犯した罪の責任を、自分で取らせるべきだ。
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