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2012年09月05日18:14

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子育ては、僕と息子の愛のやりとり

■顔にゴミ袋の5歳児死亡、母を殺人容疑切り替え
(読売新聞 - 09月05日 10:25)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=2143624&media_id=20

先日ニュースで目にし、日記にも書いた事件。
その時、この男の子は、重体だった。
同じ2人の息子を持つ親として、男の子が一命をとりとめ、何とか回復して欲しいと思いながら、僕は日記を書いたのを憶えている。

その小さな命の火が今日、消えた。

もちろん、僕はこの家族のことも、亡くなった男の子のことも何一つ知らない。
どんな生活を普段していて、男の子がどういった毎日を両親と兄弟と過ごしていたのか、僕は何一つ知らない。

だから、こうして感傷に浸るのは本来はおかしいのかもしれない。
だが、亡くなった男の子をつい自分の息子と重ね合わせてしまう。

この男の子の母親への愛情は、はたして届いていたのであろうか。

僕が虐待やこういった親による痛ましい事件について日記を書くとき、一つのテーマをついて書くようにしている。

それは、愛だ。
子供が父親や母親に向ける愛だ。
子供は生まれた時からずっとずっとパパやママが大好きだ。
そして、もっと言えば、子供は少なくとも、自分のママだけは、いつまでも大好きだ。

これは、3歳と1歳の息子を持つ僕は、毎日、本当に痛感させられる。

そして、この愛を親はしっかりと受け止め、愛を持って子供に接しなければならない。

5歳だろうが3歳だろうが、後片付けをしなかったら、躾として、後片付けをさせる。
これは当然だ。

そして、子供が言うことを聞かないことや、やんちゃで手がつけられない時は、子育てをしていてよくある。

パパやママだって人間だ。
子育てをしていて、腹の立つことだってある。

そんな時、僕は感情をそのまま子供に出せば良いと思う。
そこに息子や娘に対する愛があり、息子や娘が自分を愛してくれているという気持ちをしっかりと持っているなら、感情をそのまま子供に出せば良いと思う。

僕も嫁も3歳の息子に対しては、厳しく躾てきたし、言うことをきかない時、時には、自らの平手で叩いたこともある。
しかし、叩いた時、そこに息子に対する愛があれば、叩いた方の心もズキズキ痛む。
その心の痛みが息子に対する愛情だ。

僕には、いくら息子に腹が立ったとしても、愛する息子の手足を縛り、ゴミ袋を被せることはできない。
そこに、息子に対する愛も、息子から自分に向けられる愛も感じられないからだ。
愛のない躾は、本人が何と言おうと、それは虐待でしかない。

親は子供にとって怖い存在であり、優しい存在である。
だが、それはお互いの愛情と信頼があって初めて成立する関係だ。

最後に、感情をそのままに叱った後は、必ず子供をギュッと抱きしめること。
僕は、必ずそうしている。
そうすると、息子の温もりが、涙が僕に伝わってくる。息子の愛情が僕に伝わってくる。
息子にもきっと、僕の愛情が伝わっているだろう。


亡くなられた男の子の御冥福を御祈りいたします。
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