結婚していた頃、独身時代から大切にしていたアンティークの高価なスタンドを誤って割ってしまった事があります。
その時主人は「オレでなくって本当良かった〜(^。^;)」そう言っていたのを思い出します。
自分で壊した為に誰のせいにも出来ず静かにかたずけ忘れる事にしました(;_;)
私たちは突然の変化に抵抗し恐れます。
おまけにまだ何も起きていない内から〇〇になったらどうしょう…と苦しみをわざわざ作ります。
おかしな話ですが、未来の望ましくない事故や病気、リストラになる可能性をすべて消して下さいとの申し込みもあった程、私たちは何も問題のない人生を望んでいます。
本来の光のままの私たちはどんなでしょう。
もうすでにスタンドは割れているのです。
仏教の教えに無常とありますが、同じ形を留めているものはこの世にありません。
スタンドはいつか壊れてしまうものです。
既にスタンドを手放しているなら
既に未来を手放して今に生きるなら
美しい光で部屋を照らしてくれるスタンドは祝福となるでしょう。
そして壊れてしまった時、悲しんだり人のせいにしようとしたりしなくて済むのです。
苦しみは自己イメージにしがみついて抵抗する時に生まれるのです。
最初から一瞬一瞬死と再生の中にいるならそれはなくなります。
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