前回の日記にたくさんのお見舞いのコメントをいただき、
個人的に心のこもったあたたかいメッセやメールをくださる方々もいらっしゃって、
ほんとうに、ほんとーーーーーに!ありがたく思っております
すごく励みになっております。
みなさま、ほんとうにどうもありがとうございます…
私は昨夜よりとりあえず、川崎に一時帰宅しております。
それまでに呼ばれることがなければ、週末にまた三重県に戻る予定です。
父の目下の状況は「小康状態のダウンヒル」というところだそうです。
小康状態ではあるけれど、徐々に状態は下り坂、ということですね。
そして、急に重篤化する可能性は拭い切れないと。
三重大の先生方はほんとうに全力で最善を尽くしてくださってます!
もうこれ以上はないってくらい。
しかし今の状態からなかなか抜け出せない一番の理由、
ネックになっている原因は…
なんと、栄養状態の不良。
なにそれ?
つまり、体の飢餓状態。
松本から転院してきたとき、驚いたことに父は『 栄 養 失 調 』だったのです。
ええーっ?!
松本での後半、内臓も浮腫を起こしていたため、食事をすると胃が圧迫されて眠れないほど苦しくなるから、と、あの食いしん坊が一口二口で食事をやめていたのです。
食べ残した量はちゃんとチェックされて、経口食で摂取できなかった分の栄養は輸液で補われているもんだと、普通、思うじゃないですか。
それがされていなかった。
あの点滴は敗血症に対する抗生剤と、ただの水だったわけです。
家族もビックリ、
三重大のドクターもビックリ、
父もビッ…父にはもっと意識がしっかり戻ってからビックリしてもらいまひょ(笑)
三重大では到着の当日から高カロリー輸液が入れられ、
24時間体制で人工透析が行われ、
腸の浮腫が少し引いたところで鼻から栄養を入れて、
一日1000キロカロリー以上入れているのに、
それでも一週間経つ今でも栄養状態が追いつかないのだそうで、
どんだけ飢餓状態にしとったん???ってな話だそうです。
三重大のドクターも、あまりにも酷い栄養管理にどういう意図があってのことか、と、首をひねっておられました。
松本の先生、厄介な状態になって、早く決着つけたかったんとちゃうの?
次回の週末に姉妹がくるまでに死んでいればいいとでも思ってたんだろか?
最後の方は病状や治療の説明も一切なされず、
エレベーターで偶然乗り合わせると、逃げるようにこそこそと降りてゆくようなドクターですから、そう思われてもしょうがないですね。
あらゆる手が尽くされている今、あとは「父の体力次第」だそうで。
栄養状態が上がらないと体力が回復しないのはもちろん、感染のコントロールもできないそうで。
そうなると益々、松本での栄養管理のずさんさに怒りが込み上げてくるのです。
で〜も〜ね!
実は三重大に移って二日目にして危篤の状態を迎えそうになり、
延命措置についての苦しい選択を余儀なくされる事態になったのです。
私の旦那と息子にも、喪服の用意をして駆けつけてもらいました。
その後ももう一度、指定の面会時間まで待てないかも、と、急遽呼び出されたこともありました。
そんな局面を何度か迎えながらも、なんとか持ちこたえたあの親父。
しぶといというか、往生際が悪いというか(笑)
もちろんそれは先生方の必死の努力があってこそなのですが、
まだまだ運はつきていない、と、感じています
正直な話…
たくさんの管を体に入れて、機械で内蔵の機能や呼吸を補い…
そんな父の姿をしみじみと眺めているうちにふと、
ご尽力くださっている先生方にはほんとうに申し訳ないことに、
これで生きていると言えるのだろうか、とか、
機械や薬がなければ死んでしまっているはずのものを延命する医療とは、
至極自然の摂理反するものなのかな、とか、
ふと、ほんとうに、ふと、思ったのです。
誤解していただきたくないのですが、そこには否定的な感情は全くなく、
むしろその逆なのです。
それでも生かしてくれる医療ってなんだろう。
医療の根幹って、どこに根ざしているのだろう。
いろんな思考がぐるぐる私の中を駆け巡りましたが、
これまたふと、出てきた(私の)答えは、
「大切な人をなくさないため」
だから人間は医療を開発し、発達させてきたのだ、と、思いました。
私がこんなことを想うに至ったのは、
やはりこの度のことで2つの対照的な病院を見てきたからだと思います。
きっと三重大の先生方の医療姿勢は、ここに根ざしているから、
高度な技術が真摯に追求され、対・人への対応も奥深いものになるのだと感じます。
三重大では患者や身内の心理状態までカルテに記録され、そのためのケアも引き継がれるようです。
数値では表せないものを繊細に汲みとり、的確に対応するということは、
底の浅い人間にはできない仕事ですね。
ここに転院できた父や私たち家族は本当にラッキーです
さてさて、もう片方の病院ですが、
本日、元・主治医に栄養管理について言及するための電話を入れました。
憐れなほどに言い訳がつきません。
いくら言い訳しても、だから出来なかったのだということを、三重大のドクターは全てやってのけたのです。それも数時間で。
自分の無能さを露呈するばかりです。
挙げ句の果てには、
「はいはい、わかりました〜」
と、軽ぅ〜い居直りのことば。
「はい」は一回だけでしょーっヾ(*`Д´*)ノ"彡☆!!!
とは、言いませんでしたが、そこからの私の猛攻撃は言うまでもありません(笑)
このドクター、救急搬送の朝から三重大到着まで一度も私と目を合わせようとせず、救急車の中でも終始私に背中を向けっぱなしでしたが、三重大のICUから出てきて玄関へ向かう途中、偶然私に見られているとは知らずに思いっきり解放された笑顔で付き添いのナースと笑っていた人です。
私に気づいても目をそらし、「お疲れさまでした」と、声をかけるのはこちら側。
「こちらの力が及びませんで…。お父様、よい方向に向かわれることを願います。」
って、まっとうな社会人やったら嘘でも言わへんか〜???
とうとう最後まで全く目を合わせず、ろくな挨拶もないまま松本に帰ってゆかれたのです。
電話での話の最後に、
「もしも父が死ぬようなことになった場合、
私たちも出方を考えておりますのでそのおつもりでいらしてくださいね。」
と、静かに言ったら、電話の向こうで息が止まったのがわかりました(笑)
少なくともこれであの人も、父が生き延びてくれることを祈らずにはいられなくなったことでしょう。
へへへ〜、だΨo(*`∀´*)♂
私って いぢわる?
写真は、川崎へ戻る途中の近鉄特急から見た虹。
「あ!虹だ!」と、息子が教えてくれなければ気づかなかったかも。
こんなみごとな半円形の虹、ひっさびさに拝みました。
「パパがよくなりますように」と、指を組む息子。
笑われてもいい。ラッキーな予感がしました
「小康状態のダウンヒル」とは、
ダウンヒルだけど小康状態をキープできている、ともとれる。
松本の病院でまだ少し元気だった頃、ドロドロすり潰し食を食べてた父が傍にいた姉に、
「頼む!頼むから!ビフカツくわせろ」
と、言ったことがあるそうで、
姉は心の中で、
…………(-"-;)ぉぃ.....
と、突っ込んだそうですが、
パパ、元気になったら、ビフカツ、たんと食わしちゃるよ。
尿酸値や血糖値が正常値でいられる範囲でね(笑)
またもや長くなってしまって申し訳ありませんでした。
今後父についての報告は、良くも悪くも結果がハッキリ出るまで控えさせていただくことにいたします。
どんな状況下でもお腹は空くし、子供たちは笑います。
空元気ではない明るさで前向きに過ごしておりますので、どうかご心配なさらないでくださいね
返す返すも、みなさまから頂いたあたたかいお心遣いにほんとうに励まされました。
心から感謝しております。
ほんとうにどうもありがとうございました…
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