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2012年08月04日04:19

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2つの病院





新しいアルバムをアップしました。
旅先で入院していた父のところに通っている間に撮ったものです。
http://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000068288607&owner_id=19426232


とりあえずざっくりとですがこれまでの経過の報告をさせていただきたいと思います。


アルバムにも書きましたように、この度父が松本の某病院から三重大学附属病院に転院することになり、4時間にわたって救急車での搬送が行われました。

実はこの段階で、搬送によるリスクを鑑みると、搬送中に死亡してしまう確率は決して低いものではなく、ホントもう、最悪のことを覚悟した上での一か八かの賭けでした。
もう運を天に任せ、昔からの父の悪運の強さを信じるのみでした。


搬送途中に父の様子が少し不安な状態になった時に、
父の好きな音楽を用意しておいたポータブルスピーカーで流してみたら、なんと心拍数が落ち着きました。
意識はほぼない状態だったのに、聴こえてるんだ〜と、驚きました(笑)

そして更にちょっと冷やっとする状態になったとき、ちょうど県境を越えたあたりだったので、


「パパ!三重県に入ったよ!もうすぐ四日市!
 わかる?! よ っ か い ちっ!!」


あれほど三重県に帰りたがっていた父です。
そして日々車で走り回っていた父にとって、四日市、と、聞けば津(三重大の所在地)まであとどれくらいかがピンとくるはずなのです。


よ っ か い ちっ!!


と、言った途端、これまたあらゆる数値が落ち着いたのです。
なんてしぶとい(笑)

そしてなんとか三重大に到着。
実は松本出発の時点で出発予定時刻を50分遅れ、
三重大の敷地内に着いてからも搬入口に辿り着くまでかなりもたつき、搬送側の手落ちや要領の悪さに「イラッ」と、してましたが、
なんとまぁ建て物に一歩入って、三重大サイドのチームに繋がってからの仕事の速さったら!
三重大のドクターもナースも超・カッコイイのだ!


もともと父が三重県に転院することになったのは、ぶっちゃけ某病院のドクターが匙を投げたからです。
ずっと転院は無理だというてたくせに突然転院を勧めてきたのは、
「危篤状態になった時に、姉も私も間に合わない距離だから」
という理由でした。

意識が朦朧とする中でも「帰る」と呟いてた父です。
もう呟くことも出来ない状態になってからも、
「パパ!帰るよ!」
という私の言葉に一瞬目を見開いた父です。
姉も私も、もうどっちみちここに置いておいてもいいことにはならないし、
たとえすぐに看取ることになったとしても、
とにかく父を三重県に帰してやりたい、と、いう一心で搬送を決意しました。

三重大のドクター陣、スゴイですよ〜
先週末に姉が某病院からの報告書を受け取り三重大の先生方に渡したら、その日のうちに翌日の搬送が決定。
驚くべき速さで父の受け入れのためのプロジェクトを立ち上げ、万全の態勢を整えてくださいました。
これまで全てが後手後手で状況を悪化させてきた某病院の先生は、三重大側の対応の速さに驚いていたようです。ふふ〜んだ。


って、こんな風に書いてると、そこはかとなく某病院に対して悪態をついているように見えるかもしれませんが……悪態ついてますね(^^;)

いえね、うちの父も老齢なわけですし、いつお迎えがきてもしょうがないっちゃー、しょうがないんです。
誠意を持って、精一杯のことをしていただいて、それでもダメだった場合には、素直に「ありがとうございました」と、頭を下げることが出来るのです。


でもね、でも…
なんていうか…



詳細は書きませんが、たとえば…
昔っから女の子の憧れの職業のトップスリーと言えば、
スチュワーデスさん(今はCAと言いますが)、
看護婦さん(今は看護師さんですね)、
お花屋さん、でしたね。
男の子のトップテンには「お医者さん」が入ってました。


なぜ、子供たちの“憧れ”になるのか…


多分、この病院で過ごしてみたら、誰もナースやドクターになりたいとは思わなくなるだろね、と、いうような対応だった、ということです。

姉も私も、父に対する対応を少しでも良くしてもらうために必死でした。
「あそこは身内がうるさいから」
と、いう理由だとしても、父が少しでも人間らしい扱いをしてもらえるようになるならそれでよかった。


三重大と某病院との決定的な違いは「人」でした。


もちろん、世界レベルで一目されるドクターを抱え、国内でもトップクラスの高度医療技術を備えた病院だからこその感動もありました。

松本の病院の担当医師が無理だ無理だと言うてきた処置を、ICUに入ってからものの数時間で全部やってのけた!!
姉は中に残ってましたが当然私は一旦外に出なくてはならず、処置の一部始終を見てはいないのですが、数時間後に指定された時間に戻ってみると、父の状態が明らかに松本を出る時よりも好転しているではないですか!

スゴイぞ三重大!ワンダホー三重大!!ひゃっほーい三重大!!!
ってな感じで鳥肌が立ちました。

しかし、私の感動は、ここから先にもあるのです。
それはスタッフのみなさんの「情緒の豊かさ」。

ドクターはみなさん、それでも決して楽観視は出来ない事実をとてもわかりやすく伝えてくださりながらも、こちらの心情を細やかに読み取り、配慮して、家族が前向きになれるような話の運び方をしてくださるのです。

ナースのみなさんも、こちらがふっ…と救われるような労いの言葉や、笑顔になれるような言葉をさり気なくかけてくださったり…多分、父が目覚めた時にそばにいてくださるのがこんな看護師さんたちなら、きっと安堵できるだろう、と、信じられる方々ばかりなのです。

この病院なら間違いなく、ドクターもナースも子供たちの憧れの的になることうけ合いだよ〜ん!と、思えます。

ここでなら、たとえ父との別れを迎えることになったとしても、心から納得して、心から「ありがとうございました」と、言えると思います。

あ、いやいや、あまり縁起が悪いことを書くのはよくないですね(笑)

三重大の先生方は可能性が1%しかなかったとしても、その1%のために最大限の努力をしてくださるのですから。
三重大の先生方、ナースのみなさんに、心からの感謝と尊敬を感じます。
ほんとうにもぉ、一生足向けて寝られませんm(__)m
ほんとうに、ほんとうに、どうもありがとうございます…!


最後に。。。

アルバムの写真にも書きましたが、やっぱり今回、一人だったら絶対キツかった〜!
肉体的に疲弊してくれば、精神も健康的ではいられなくなるだろうところを、姉が一緒だったから、なんだかんだとささやかな楽しみを見出しながら乗り越えてくることができたと思います。

そして、向こうのドクターにとっては誤魔化しが通用しない姉は、非常にやりにくい身内だったかもしれませんが(姉は決して出しゃばるような真似はしない人ですが)、私だけだったら絶対にケムに巻かれちゃってたと思うので、やはり姉の存在は大きかったです。

それぞれの得意な部分で役割分担も上手くできてた…と、思っていたのですが、でもよく考えたら、姉の役割は言わずもがなだけど、私の担った役割は…???


んーと…


えーっと…


情に訴える…とか?


そんなことくらいだということに気が付きましたA-_-;)


姉はあくまでも、今回父を受け入れてもらえることになったのは三重大の先生方のキャパだ、と、言っております。
その通りだと私も思っております。

しかし、かなりの手前味噌ですが、姉のこれまで培ってきた仕事の実績やら人格やらなどもちょっとは何かを動かす力になったのかなぁ…と、おバカな妹は思ったりするのです。えへへっ(///▽///)ゞ

あぁ、そういう意味では姉が生まれたこと自体、
父の悪運の強さが作用した結果だったのかもしれませんなぁ(笑)
更に今回といい、5年前に直径8cmもの大動脈瘤を育てていやがっていた時といい、一人暮らしの生活の中で一人で倒れていたら、とうにこの世にいないはずでした。
生死を分かつような局面では必ず人に見つけてもらえる環境にあったという、本当に往生際の悪い運の強さです(笑)


先にも述べましたようにまだまだ予断を許さない状態ではありますが、なんとなくいい風が吹いてきたように感じます。
決して楽観はできないけど、三重県に帰って来る前の不安からは開放されました。

とはいえ、そんな状況なので、
たくさんの様々なお誘いやお心をいただいておりながらが不義理を重ねてしまっていることをとても心苦しく思っております。
これから少しずつお返ししてゆきたいと思っておりますので、どうか落ち着くまでもう暫くお許し下さいませ。




あぁ、みんなを笑わせるユーモアに溢れた父に戻ってくれたらいいなぁ〜


これだけ書いてきましたが、松本の某病院、リハビリの先生方はみなさま本当に素晴らしい先生方でした!
父も「鬼のT先生」と呼びながらも、リハビリの時間を楽しみにしておりました。
あの病院での唯一の幸せな出会いでした。

父の転院当日にそのことを知り、息をハァハァさせながら走ってきてくださったリハビリ主任のT先生。

「良くなることを信じてます。」

心のこもった力強さで握手してくださいました。

「お父さんが回復したら、
 (^o^)v ←こうやってる写メを送ってくださいね。」

約束をして帰ってきました。

きっとこの先生は、これまでにもすごい数の患者さんたちを見送っていらしたと思いますが、全ての患者さんに対してこんな風に、患者本人や家族たちの胸があたたまるような仕事の仕方をしてきた人なんだろうなぁ…と、心から思える先生でした。

「勉強のために一緒に上野平さんを担当させていただいていたので」

と、研修生の男の子を一緒に連れてきてくださってましたが、
この子がT先生から学ぶことはとんでもなく素晴らしい宝になるね、と、思う。
それが宝であることに気づけるステキなリハビリの先生になってほしいです(^^)


ざっくりと、と、言いながら、
長い文章になってしまって申し訳ありませんでした。
読んでくださってありがとうございました。


私は元気です(^^)v





関連アルバム
「父の入院@松本」
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