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2012年05月26日10:21

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物事の線引き

http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=2027704&media_id=4

実は、僕の実家は亀岡にある。
先日、無免許の少年の居眠り運転が引き起こした、あの痛ましい事故があった、あの亀岡だ。
あの事故は、僕にとって地元というだけでなく、生活道路としてよく利用していた道での事故であったため、大変衝撃を受けた。

おそらく、ニュースで御存知の方が殆どであろうが、あの事故の少年は、無免許運転にも関わらず、検察は、危険運転致死傷罪での立件を見送った。
理由は、事故以前から無免許運転の常習者であることから、運転技術があった、と認められたからだ。

これをオカシイと、あなたは思わないだろうか?
オカシイと思う方は、きっと、今回のニュースの高裁の判決にも疑問を感じるはずだ。

物事を判断する時には、どこかで線を引かなければならない。
警察による、アルコール検査の際、呼気からアルコールが検出された場合、それが正当な結果であるならば、それは酒気帯び運転なのだ。
この線引きを曖昧にすることは、飲酒検査そのものの信用性を失うことになる。

ましてや、この中学教諭は、事故を起こしている。
アルコールが検出された人間が引き起こした事故なのに、本人が酔っている認識がないという証言だけで、酒気帯び運転が原因の事故でないと、本当に言い切れるのだろうか。

こういった曖昧な判断が、警察の職務を妨害し、飲酒運転で事故を起こしても、その場で逃げて、アルコールが抜けてから出頭するという、卑怯な輩を生むことになる。

法に関わる人は、こういった行為が、自分たちをバカにした行為であることに気付くべきだ。

しかし、これは仕方ないのではないか。

こういった事故が起こる度思うのは、法的な解釈とは、単なる屁理屈であり、所詮言葉遊びに過ぎないということだ。

運転技術があろうとなかろうと、無免許運転で事故を起こしたら、危険運転罪なのだ。
本人が前日に飲んだ酒で、飲酒の認識がなかったとしても、アルコール検査で、アルコールが検出されれば、酒気帯び運転なのだ。
そこの線は、しっかりと引くべきだ。

こういった言葉遊びをするから、それを逆手にとって、法をバカにする輩が出てくる。
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