亀岡暴走事故 少年を家裁送致
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=2015369&media_id=4
これは、本当に被害者家族は納得できないだろう。
自動車運転過失致死傷と危険運転致死傷とでは、量刑に大きな差がある。
被害者家族にしてみれば、加害者少年に厳罰を、求めるのは当然のことだ。
そもそも、今回、検察が危険運転致死傷で立件することを見送ったのは、無免許にもかかわらず、以前から運転していた経緯があることで、加害者少年に運転する技量があると認められたことにある。
そして、危険運転致死傷には、免許の有無は関係なく、この少年は、単なる居眠り運転での事故という風に、法的に捉えられてしまった。
皮肉なことに、無免許運転を繰り返してきたことが、この少年の減刑に繋がったのだ。
これは、被害者家族だけでなく、一般の人も納得できないのではないか。
そもそも、自動車運転免許とは何か。
自動車は、たとえ本人に技量があろうがなかろうが、運転は許されていないのだ。
自動車は、自動車運転免許を取得して、初めて運転を特別に許されるのだ。
そうではないのか。
となると、自動車運転免許を持たない人間が自動車を運転すること、そのこと自体が、危険運転なのではないか。
今回の危険運転致死傷の見送りは、僕には、屁理屈を言って、自動車運転免許の存在意義を軽視してしまっているように思える。
この事故の問題は何か?
居眠りだけが問題なのか?
違うだろう。
問題は、無免許にもかかわらず運転した人間が居て、車を貸した人間が居る。
ここに事故の本質があるのではないか。
本質を見失うことは、今後、同じような過ちを繰り返すことに繋がる。
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