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2012年02月25日06:50

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橋下の功罪(特に留年について

 20日東京。山口二郎コラム。大阪維新の船中八策を誤読し批判していた。年金を掛け捨てのみと誤読し、さらに地方交付税を代替物無しの単純廃止と誤読。

   ※ 正しくは。船中八策での年金は、賦課方式を廃止し積立方式に
    移行するのが基本で、掛け捨ては単なるオプションだった。
   ※ また、地方交付税廃止は、地方共有税創設とセットになってた。

 これ、中学生レベルの読解力があれば誤解しない内容なので、山口が故意に誤読しデマ宣伝していると見られても仕方がない。橋下を批判するなら正面から批判すべき。山口って、橋下憎しで凝り固まって、相手の文章をロクに読んでいない印象。あるテレビ番組でケチョンケチョンに論破されたと聞くけれど、それで恨みをもっている?




 22日web。橋下市長、市職員のメールを無断検閲。
   http://www.asahi.com/politics/update/0222/OSK201202220054.html
これは違法の可能性もある、グレーな行為。白に近いグレーだけど。例えば、私の昔の勤め先は「調査するかもしれないよ」との予告があってから行われた。

 橋下は「事前予告なんかしたら、消されてしまうに決まってる」と言うけれど。サーバーバックアップが普通取られているから、そのバックアップを見れば良いだけ。事前予告してから行うべきだと、強く思う。

 これは橋下が間違ってるんじゃないかなぁ?




 22日。さらに、橋下、震災ガレキ受け入れに前向き。
   http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120222-OYT1T01106.htm?from=y10

 これは橋下が正しい。



 23日朝日。大阪府労働委員会、橋下支持の大阪市職員アンケートについて中止勧告。不当労働行為の恐れ大と。

 まぁ当然でしょう。これは橋下が大間違い。



 ...ホントこの人(橋下・大阪市長)は、正しい政策と大間違いと、言うこと・政策が両極端に振れるわぁ。で結果、毀誉褒貶が激しい。強いアンチ橋下派を生んで、正しい政策まで批判されるようになる。

 その典型が、下記留年問題。普段は冷静な方まで、無理スジの批判を繰り返しはって、目が点になった。

 以下、詳しく触れますが、まだトゲのある表現が残っているかも。一応、1〜2晩寝かせてカドを丸めたつもりなんですけど。お気に障ったらごめんなさい。



 22日。また、小中学生の留年も検討。提案者は尾木ママ。
   http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120222-OYT1T00501.htm?from=main2
こちらは、全国的にやるなら、一理あるかと。最低水準にも達していないのに進学や進級させる方が無責任で、低学力児童・生徒の切り捨て・追い出しで、非人間的。先に行ってから、とても困る。後になっての学び直しはタイヘン。

 ただし、留年が差別意識やドロップアウト感を生まないように注意が必要。そのためには、全国で同時導入が望ましい。大阪市が最初に声を上げ、議論を深め、その過程で全国に広まって欲しい。あちこちで普通になれば、大きな差別も生まれないかも。

 発達障害の研究で明らかになってきているように。子供の発達には個人差が大。早期に学習能力が発達する子と、12歳過ぎてから急激に伸びる子を同列に扱う方がオカシイ。例えば、地頭の良い人で、中学くらいまでリンゴ2個と積み木2個が、なぜ同じ2なのか理解出来ず落ちこぼれた人もいるそうな。

 これは、脳の発達の問題なので、すぐの補習などでは対応出来ない。脳が発達するまで、何年か待たないとイケナイ。

 同じ理由から、本来は科目毎に留年を行う、単位制のような制度が望ましいと思うけど。それには法改正が必要だし。市レベルで出来ることじゃない。理想を言い出したら、大学入試、さらには経済界の新卒至上主義・形式的横並び主義から改革しないと意味が無くなってしまう。それでは、たった今も教育現場で切り捨てられ・見捨てられている児童生徒達に「河が清くなるまで百年待ちなさい」と言うようなもの。

 ちなみに、法改正まで前提とするなら、後から伸びた子が追いつけるように、飛び級制度の併設も必要だと思う。12歳まで小3にいた子が、それから学習能力が開花し、飛び級を繰り返し高校入学で追いついたり出来るように。

 とにかく、カリキュラムに合わせて子供は発達するワケじゃない。理想は、子供の発達に合わせたカリキュラムであるべき。留年は、その疑似実現。



 たぶん、この留年に反対する人って、留年に対する強い偏見があるんじゃないかなぁ?形式的横並び主義に染まってはる。で、自分の偏見を子供に投射して、子供が強いショックを受けるだろうと危惧する。2度の留年経験(1度は降年だけど)者としては、上手く運べば杞憂だと思う。

 留年を嫌う「形式的平等主義」の方が、多様性の敵であり低学力児童・生徒を苦しめる。どうしても形式的平等主義を貫きたければ、社会丸ごと形式的平等主義で貫くべき。大学入試も就職も結婚も昇給も、皆、抽選にするとかさー。それが出来ないのなら、学校だけ形式的に平等にしたって弊害を生むだけ。社会に出てから子供を苦しめるだけ。

   ※ その他「もっとクラスの人数を減らすべき」とか「教員の人数を
    増やせ」とか言う意見もあるけど、それはそれ。今回の問題とは独
    立した話題。予算が許すなら、そうすべきでしょうねそりゃ。



 23日朝日。橋下の留年提案に対し、尾木「本人や保護者が希望した場合は、との趣旨だった」と弁明。日和りましたね(^_^;)。それじゃ現行と何も変わらない。ちなみに橋下は「科目別留年や集中的復習の特別学級も」と微修正。




 留年問題。マイミクさんのご意見に対する感想。

 > やれるところからやるのは、現状の留年制のない状況のなかで、
 > 補習の強化や、1クラスの人数削減、補助教員の活用などで、やるべき

 これらでは、落ちこぼれてすぐ行われるので、脳の発達が問題の場合、ほとんど意味が無いような。意味がある場合もあるけど、それは別途行えば良いだけの話。橋下も、それはそれで検討するかのように言ってますよね。そもそも、教員が熱心なら補習については既に行われているし。

 また、マイミクのマイミクさんが「単に同じ授業をもう一度受けさせればいいってもんじゃない」「上手く理解できない子どもがなぜ理解出来ないか、が橋下はワカッテナイ」と書いていましたが。

 橋下が分かってるかどうかは知らないけど、「単に同じ授業をもう一度うけさせればいいってもんじゃない」のはその通り。でも、それを言い出したら、分からなさって人それぞれだし、究極、個人教授が必要になって、コスト的に行政の手に余る。

 これも、留年制度の利用とは別途、平行して行えば良いだけの話。行政がやるか親がやるか、は別にして。留年制度の利用がダメ、という理由にはまったくなっていません。



> 留年制はリスクが大きすぎると思います(高校では留年者のかなり
> 多くが中退するし、成績向上につながっていない)。

 この問題は、高校は義務教育ではないから。中退が出来てしまいますからね。留年者に対する偏見なども一因だし。さらに中退しそうなほど出席状況が悪いので留年する人も多い。こういうケースでは原因と結果が逆。



> 飛び級制度がない現状では、留年も非現実的ではないかと。子どもの
> 脳の発達を待つのは大切だけれど、それに合わせて、たとえば5年間、
> 原級にとどめたばあい、その5年の遅れが最後までついてまわる。

 これは、社会の年功序列がそのままの場合は一理ある。でも、年功序列は崩れつつある(崩れなければ日本経済が沈没する)ので、今後ほとんど問題とならなくなると思います。留年の利用が本決まりになるのに数年、その洗礼?を受けた児童生徒が社会に出るのが10年だとすると、もう年功序列はごく一部にしか残ってないデショ。

 それにそもそも、留年するほど低学力で形式的に進級させられ切り捨てられた子供は、現在の社会では留年などさせられなくても社会に出て苦労します。
   ※ 大阪市は財政的に苦しく、そんな大人数留年させることは出来ない
    ハズ。留年は、社会に出て深刻に困るほど、かなり学力不足の子供に
    限られると思われる。
社会に出て深刻に困るほどの低学力者の多くは、現状でも、非正規雇用や、生活保護などで社会の底辺に沈んでしまうのだから。仮に年功序列社会が残ったとしても、現状より悪くなりはしないですね。

 予想通り年功序列が崩れ実力主義になれば、留年してでも実力を付けた方が有利だし。

 もちろん、飛び級が認められるのがより望ましいですけど。



> そのまま進級させ、脳の発達が追いついた段階で、集中的な補習を
> するほうが、現実的では。

 その場合、まったくワケノワカラナイ授業をずっとその生徒に受けさせる、という問題がある。それって拷問ですよ。学校がイヤになり自分で自分に限界を設定してしまう原因になる。

 私は英語が超苦手なのを放置された結果、今では英語を見るだけで嫌悪感で頭がいっぱいになるようになってしまいました。こうなってしまってからでは、補習するのもタイヘン。

 また、いつ補習するんですか?それって単なる問題の先送りでは。目の前から問題児童・生徒が消えれば、問題が解決したかような気分になるだけ。年金問題や財政赤字問題を先送りにするのと同じセンスでは?「今すぐ解決するのは痛みが伴うから、先延ばしにして様子を見よう」という。

 少し詳し目に検討するなら。低学力の子は中卒で就職するケースもあるので、先延ばししてもせいぜい中3でしょう。

 また、児童・生徒には教育を受ける権利がある。私たち大人には児童生徒を教育する義務がある。言い換えれば、中卒程度の学力を身につける権利を児童生徒は持ち、大人は付けさせる義務がある。それが義務教育。形式的に学校に通わせるだけでは大人は義務を果たしたことにならない。任意教育の高校・大学に、その責任を転嫁してはイケナイ。そう言う意味からも、先延ばしにしても、せいぜい中3まで。

 となると、最悪中3の1年間で、それまで溜まっていた分を全部補習するのでしょうか?とても無理だと思いますけど。

  ※ あるいは、中3でだけ留年をさせる?とすると、中学校に"学ラン
   八年組"が出現したりして(^_^;)。冗談はともかく、中3で留年をさ
   せるのであれば、もっと低学年から留年させた方がマシ。上述のよ
   うな、分からない授業を聞かせる拷問を味合わせずに済むから。

 しかも、後から追いつくのは本人の心理的にとてもタイヘンだし、補習を設定する学校側の負担も極めて大きい。



> 発達障害がある子どものばあいも、親の希望で留年できるという部分を、しっかりアピールすれば事足りる

 親が自分の意思でそれを申し出るのは非現実的ではないでしょうか?他人と横並びにしたい・させたいのが、親。アスペ関連サイトとかかつて毎日見ていましたが、親は大半、留年について知っていましたよ。知っていても申し出ない。



> 教師が強制的に留年させるのは疑問。

 私は逆の意見ですね。留年の可能性が、親に対しても教員に対しても良いプレッシャーになる。教員の補習の動機になるでしょうし、親にとっても子供の勉強を見るモチベーションになるかと。

 実際に留年させられる子は、財政が苦しい自治体・大阪ではごく少数でしょう(全国に拡大しても、財政に余裕がある自治体はごく少数なので、同様でしょう)。でも、上記のような効果が大きいと私は思います。まぁ、熱心な教員さんは既に補習とかやってはりますが。低学力層に興味のない、出来る子だけ相手にしたような授業をされる教員さんも、今のところいてるようですし。そういう(後者のような)教員さんには良いプレッシャーになるかと。



> どうしても、譲れないところが多かったりするので(苦笑)。

 私も譲れないところが多いですねぇ。低学力の子や、発達障害の事例などは、私もかなり(経験年数は少ないですが、低学力向けの塾・予備校で働いていたし。アスペには興味があって色々調べましたし)見ています。その上で、留年の積極利用が明らかにプラスに働くと思うので。

 また私自身、中高と英語文盲状態が放置され、問題先送りで形式的に進級・進学させられ、結果、大学で破綻して留年と降年(2年から1年への降格)を繰り返しましたし。で、大学でも問題先送りで卒業させられ(まぁ私も卒業を望みましたが)、就職して会社の中でまたトラブル。英語が読めないと、ほとんど仕事にならない。。。結局、問題を先送りにしたツケは、社会に出て破綻することで支払うことになりました。

 結局「集中的な補習」なんか受ける機会はどこにも存在しませんでしたね。




 もちろん、理想は、100点は、児童生徒一人一人に寄り添った肌理の細やかな教育ですよ。でも、それは究極、個人教授にまで行き着く。少人数クラスなどは気休め。そんなの、学校教育に期待するのは非現実的、教員の手間や予算的に不可能です。そこまで理想を言わず、少人数クラスや補習などである程度対処出来る?だったらそれはそれでやるべき。留年制度に反対する理由にはなってない。

 留年を嫌う「形式的平等主義」は、そりゃラクですよ。教師は1年我慢すれば問題児が目の前から消えてラクだし、親は面子が保てるし(子供が大人になって社会に出て困っても。大人になってるんだから親は自分の責任じゃないもん、と知らん顔出来るしね)。

 でも、それじゃ子供が可哀想。そんな平等主義が通用するのは学校の中だけ、せいぜい就職するまでで、社会は実力主義の世界なのですから。上辺を取り繕って進級・卒業させても、後でとても困る(実際、私は深刻に困りました)。


 確かに、今までの企業の多くは年功序列なので、学年が1年遅れると生涯賃金に大きな差が生まれてしまっていた。なので、横並びの進級にこだわる風潮、留年者に対する偏見が生まれるのにも一理ある。私も、上記の通り留年・降年の経験者だから、ある程度分かりますよ。

 でも、既に述べた通り、年功序列は崩れつつある(崩れなければ日本経済が沈没する)のだから。それより何より、ちゃんとした生きる力を付けて社会に送り出す方が大事。




 しっかし、この問題であちこちの論調を見ていると。橋下がキレる気持ちが少し分かるわぁ。「オマエの案は、100点じゃないから、減点要因があるからダメだぁぁぁ」って。それは無いデショ。30点の現状を、強い制約の下、40点を目指し工夫しようとしているのに。「100点じゃないからダメ」。じゃ、41点以上にする代案を出してよ、と思うのはアタリマエです。それじゃ30点のまま放置せよと言うのでしょうか?

 あるいは「これこれの政策もとるべきだ、だからこの政策はダメなんだぁぁぁ」って、その政策"も"採れば良いだけ(法的制約・予算的制約で取れないこともあるけど)。元の政策がダメな理由にはまったくなっていない。

 橋下を批判する評論家や学者さん、例えば山口二郎にしても、香山リカにせよ、浜矩子にしても、(伝え聞く範囲では)その手の無意味な批判しかしない・出来ない。

 そゆ満点主義は、一種の逃げ。好かれたがりの人気商売・評論家の態度。橋下みたいな政治家は、憎まれても嫌われても、少しでも現状よりマシな道を選ぶべき。



 確かに、橋下には問題が多い。市職員のアンケートだの、違法な可能性の高い条例案だの、予告無しのメール検閲だの、実現性を考えない毛針八策などなど。橋下を批判するならそういう側面に対して行うべきであって、「オマエの政策には欠点があるのだぁぁっ!」では全く意味がない。政治家の政策なんて、欠点があるのが当然なのだから。



 どうも「嫌いな奴の言う政策だから、私は反対だっ!」というニュアンスを、あちこちの論者から感じる。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い?

 私は、白猫だろうが黒猫だろうが、ネズミを取るのが良い猫だと思います。言い出すのが石原だろうが山蘭だろうが悪魔だろうが、政策が良ければその政策は良い。逆に、駄目な政策であれば、神が言おうが仏が言おうが、そんなことに関わらず駄目なものはダメだと思いますね。言い出すのが誰であろうと、そんなことには関わらず。
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