ワガママ、自我が強い。
優柔不断。
この2個が共存する事は、矛盾しているかのように扱われる事が多い。
しかし、それは違う。
ワガママである人間は、人間の快楽のひとつである、”迷い”が好きだ。
それはいい意味でも、悪い意味でも。
自分自身の快楽に正直であるから、他から見てワガママに見えるという訳だ。
だから、優柔不断なのは、かなりワガママだったり、ナルシストだったりする人間の特徴である
とも、言える。
占いや、性格診断などで
『芯がしっかりしているが、優柔不断なところもある。』
なんて言うのは、まるで正反対の性格が自分の中に共存しているというような表現をした方が
同一方向のネタをいうより、信憑性があるので、そういう表現をするのだと思われる。
占いも、手品も、プロファイリングも、性格分析も、根は一緒な所がある。
”迷い”は若さの特権とも言える。
精神年齢が高い人は、”迷い”が面倒であるので、誰かに決めてもらったり、適当に即決したりしたがる。
経験により、”迷い”の持つ快楽より、面倒さが勝つからだ。
好奇心が無くなるのも、この理論だ。
通常の人間は、人生の折り返し地点までは、色んな事に興味を持ち、どんどん吸収する時期に費やし、残りの半分の人生は、その情報を処理しながら、ある意味で思い出のみで生きるらしい。
その方が楽であるから。
だが、私は、死ぬ瞬間まで、色んな事に興味を持ち、どんどん吸収したいタイプの人間だ。
これは相当ワガママで変わっているとも言えると思う。
年齢を重ねているのに、『こいつガキだな』と思う印象を与える人間は私と同じく、まだまだ貪欲に吸収する時期な人間だと思う。
知識に貪欲な様は、上手にふるまわないと、嫌悪感を生み出す。
相手を考えず、突っ込むと常に人間関係で衝突を起こす。
だから、その独自性を保つためには、俗世間とあまり接しないというのも、一つの手だと思う。
TVを見ない、人付き合いしない。 これらは独自性を保てる。
その代りどんどんシンクロ能力が欠落していき、日常生活が送りにくくなる。
そのバランスは自分で取るべきだと思う。
世間に適応する人間が立派であり、他人に迷惑をかけない事が最優先な時代であるが
私は、それが正しいと思わない。
都心ではそうしないと、気持ちの良い人間関係を保てないので必要であると思うが
みんながもっと田舎に引っ越して、人口集中を減らして、もっと個性的に他人に迷惑をかけても
周りがそれを迷惑だと思わないような、昔に逆行するのが、いいと思う。
若いうちは優柔不断でいいと思うけど、それは自分のワガママからくるものだという自覚が必要だろう。
人に気を使って疲れた!なんて思っているけど、本当は自分がかわいいだけみたいな(笑。
品位とか、思いやりは必要だと思うけど、気を使いすぎて、良い事なんかあまりないと思う。
気を使う事で、自分はいい人間だと思ってしまう弊害の方がおそろしい。
日本古来の風習で奥ゆかしい感じはいいと思うが、過ぎたるは及ばざるが如しだ。
『優柔不断は、単なる自分のワガママ』
『気を使い過ぎるのは、自分がいい人と思われたいだけ』
こう思っていた方がいいかも。
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