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2012年01月09日07:05

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【文字起こし】小出裕章氏講演 高校生たちへのメッセージ 1/7

一度小出裕章さんの講演内容を文字起こししてみたいと思い、やってみました。動画は昨年11月5日にニコニコ生放送で放送された小出さんの講演です。一言一句、正確に起こしたつもりですが、間違っていたらゴメンなさいm(_ _)m

最初は、石油はあと○○年でなくなると言われて、皆が踊らされてきたという話です。そういえば私も子供の頃、石油はあと30年でなくなると教えられましたが、それから30年近くたった今、石油が底をついたという話は聞きません。

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2011年11月5日[1/7] 小出裕章助教 高校生たちへのメッセージ



【文字起こし】


みなさんこんにちは。

(こんにちはー)

今日はたくさんの人が来てくださってどうもありがとう。

えー・・・、何を話していいか、今日のついさっきまで実は分からなかったんですが、まあ、若い人たちが集まってくれるということで、こんな話を聞いてもらおうと思います。・・・ここはちょっと暗くしていただいた方が・・・あ、ありがとうございます。

えー、核、原子力の本質ということで、若い人たちに、ぜひ知っておいて欲しいと思うことを今から話していきます。

私は、まあ今皆さんはこれから大学に行こうとするんでしょうけど、1968年に大学に入りました。もちろん皆さん全然生まれてもいない、えー、頃です。その頃は、原子力というものが、これからの未来を作るんだと、みんながそう思っていた、時代でした。私自身も、これからは原子力だと、かたく信じて、工学部、原子核工学科というところを受験しました。・・・で、私大学は東北大学なんですが、当時東北大学の工学部という・・・ところは、受験をするにあたって、えー・・・学科ごとに、募集していました。工学部の、原子核工学科に行きたいのか、建築工学科に行きたいのか、えー・・・化学(ばけがく)工学科に行きたいか、そうやって選ぶような、時代、でした。

でー、東北大学工学部の中にもたくさんの学科があって、その中で、行きたい学科を三つ書けと。第一志望に行かれなくても、第二志望に引っかかれば第二志望に行かせてあげる。第二志望に引っかからなくても第三志望に引っかかるならそこに入れてあげるという、そういう受験のシステムでした。えーでも、僕は原子核工学科以外には行きたくなかったので、「原子核工学科」って1つしか書きませんでした。えーそれほど、とにかくそのときは、原子力をやりたいと。何としても、原子力。それ以外のことはもう僕の目に入らないというくらいに、原子力に、自分の夢を賭けようとしました。

当時はこんな風に思っていました。

『さて、原子力を潜在電力として考えると、全くとてつもないものである。しかも石炭などの資源が今後地球上から次第に少なくなっていくことを思えば、このエネルギーの持つ威力は、人類生存に不可欠のものと言って良いだろう。』

皆さん今でもこう思ってませんか?化石燃料なくなっちゃうからこれからは原子力だと。今でも日本の国はそう言っているし、マスコミなんかも、その宣伝を流し続けている。わたしもこう思って、原子力の現場に足を踏み込んだんですが、これが全くのウソだ(苦笑)。とんでもない話だということに私は気が付いて、えー、自分の人生を180度ひっくり返すと、いうことをやりました。

えーこれは新聞の記事なんですが、後半がありますので後半も見ていただくと。

『電気料金は二千分の一になる』

『原子力発電には火力発電のように大工場を必要としない。大煙突も貯炭場もいらない。また、毎日石炭を運びこみ、たきがらを捨てるための鉄道もトラックもいらない。密閉式のガスタービンが利用出来れば、ボイラーの水すらいらないのである。もちろん山間へき地を選ぶこともない。ビルディングの地下室が発電所ということになる』

こういう宣伝だった、のですね。これ後半もほとんど全部、間違えていると、いうことが分かってもらえると思います。でんきゅ、電気料はものすごく高くなりました。日本の電気代は今世界一と言われるぐらいに、高くなって、います。えー原子力発電所というのは、火力発電所に比べてもはるかに巨大で、お化けのような建物になったし、決して都会には建てられないで、過疎地に押し付けると。いうことになりました。ビルの地下室が原子力発電所なんてことは全然ないという、ことが現実、です。私が描いた夢とは全く違う、現実が今、ここにあります。

「化石燃料がやがてなくなってしまう」と。脅かされた。私もそうですし、多分今皆さんもそう思っている。本当かどうかをちょっと検証してみたいと思います。

化石燃料の代表は、まぁこれまで石油でした。石油はあと何年もつかと、いうことを、今からここに書いてみようと思います。

「石油可採年数推定値の変遷」と。何年もつかということが歴史的にどう変わってきたかと、いうことをここに書きます。

1920から2010まで。これ西暦、です。えー縦に0から60まで書いてありますが、これが石油があと何年もつか、と考えた、年数を縦軸にとります。

えーたとえば、1930年の時に、石油があと何年もつかと、いう・・・ことを今この図に、点を打とうとしているんですけど、1930年って言えば今から80年以上前、です。その80年以上前に、石油があと何年、あると考えたか。

いちばん上でもこれ60年、ですが、当時は、18年。言われていた。

80年前に石油は18年しかないと言ったわけだから、もしこの、推定が科学的に正しければ、今もう石油は1滴もないはず、ということになると思います。

この年はいったいどういう年だったかというと、前年の1929年に世界大恐慌ということが、起こりました。世界中の経済が倒壊して、労働者は首を切られて巷にあふれてくるという、そういう厳しい時代でした。今もまあ、世界中がリーマンショックという、ことがあって以降、またこれの再来ではないかという、まあ困難な時代に、落ち込んでいこうとしている、わけですけれども、当時も、そうでした。

そういうときに石油が18年しかないと、言われて、世界中が困った、んですね。「どうしよう」と。世界の中で強国になるためには石油を手に入れないと困る。

日本には、地下資源がない。非常にそれで、単純な選択をしました。大陸の資源を押さえると。それ以外に日本はもう生き延びられない。いうことで満州に侵略戦争を始めると、いうことを始めました。

これから日本という国は15年戦争という、長ーい苦難の戦争の時代に突入します。もちろん日本人もものすごい苦労をした。皆さんの、えーお父さんは・・・まだ生きていないかな。おじいさんの世代は、きっとこの時代で、えー苦難を、の時代を生きた。もちろん日本人だけでなくて、えー侵略を受けた満州の人たちも、ものすごい苦難に陥っていったわけです。

戦争をして、10年経ちました。1940年になって、石油があと何年あると、考えたか。というと、23年。

10年前の1930年に18年しかないと言ったわけですから、10年経った1940年には本当はあと8年しかないと。いうところに降りてこなければいけないはずなのに、逆に23年あると言い出した。それでも23年でなくなっちゃうんでは大変だと。世界中がやはり石油の権益を求めました。

当時もう日本は中国本国へも侵略を開始していて、世界中から嫌われていた国、でした。

今、皆さんはどう思っているだろう。この日本という国が、世界から信頼を受けている国だと、思ってるだろうか?

私は今のこの日本という国も、あまり世界から信頼を受けているとは思わないけれども、当時は、もちろん、そうでした。日本という国は悪い国だと。中国に侵略なんかをして悪い国だと。何とかして日本をやっつけなければいけないと。世界中が考えていました。

そのため、色々な制裁を、日本という国が受けました。有名な制裁はABCD包囲網という、制裁です。Aがアメリカです。Bがブリテン、イギリスです。Cがチャイナ、中国。Dがダッチ、オランダという国です。そのABCDという国々が集まって、日本には石油をやらないという禁輸政策を発動しました。

戦争中です。もうそうなったら戦争を行うことも出来ない。これはどうしようもなくなるぞと。いうことで、また日本の首脳部は、非常に単純な、政策をしました。こうなれば仕方がない。南方の石油権益を、押さえるしかない。ということで大西、太平洋戦争に、突入すると。いうことになります。

そしてまた長い戦争を続けて、1945年に、原爆も落とされて、日本は完璧に負ける、わけです。で・・・なにか少し平和な世界が来たと、日本は思って、まぁ今日まで来てるんだと思いますが、世界中ではまだまだ戦争がずーっとこれからも続いています。

1950年になって、えー石油があと何年あると、思ったかというと、まだ20年あると、言うのです。20年前に18年しかないと言ったわけだから、20年経ったら本当は一滴も石油はないはずなのに、まだ20年あると、そういうことだったのです。

これは科学とは全く無縁のこと、です。科学的な推定ではなかったと、いうことであって、こういう・・・推定値に踊らされて、国家の命運を賭けるようなことをやってはいけないと、もっとちゃんと科学的な判断をしなければいけないということを、このときに本当は学ぶべきだったと私は思うのですが、まだまだだったのです、ね。これ以降も、石油があと何年あるか、何年でなくなるかと、いうことばかりに、世界中が関心を奪われて、今日まで、来ています。

この頃はまだ、朝鮮では朝鮮戦争という、えー悲惨な戦争が、始まって、これからも続くのですが、1960年になって、これから10年経ってどうなったかというと、石油はあと35年あると、言い出した。言い出しました。

ちょうどこの頃私は中学高校という時代を過ごしていて、石油が30年35年でなくなってしまうと。脅かされた、のです。それでもうしょうがない原子力だと。思ったわけですが、えー、ずうっとまあ何年経ってもあと30年35年って言っていたんですね。

でー私は、東京生まれの東京育ち、でした。でー、1964年に東京オリンピックという、ものが行われて、それまでの私は東京の町というのは好きだった。江戸の下町の情緒が残ったなかなかいい町だったんですが、東京が東京オリンピックによって大変貌、を遂げるようになります。町中がコンクリートで埋め尽くされて、えー高速道路ができて。そういう時代になりました。エネルギーを膨大に使って、町をつくっていくというそういう時代に、なりました。

それ以降日本という国では、どんどんどんどんエネルギーを使って、えー人工的な町をつくって、そして農村を潰していくという、そういう時代に、入りました。エネルギーはどんどん使うんですが、それでも、いつまでたっても石油はあと30年と言い続けました。オイルショックというのがありました。それでも30年と。第2次オイルショックがあってもそれでもまあ30年近くあると。言っていた、のです。

これ以降じゃあいったいどうなったのかと、いうとこうなりました。

やっぱり石油は30年あると、言い続ける。10年経っても20年経っても、30年経ってもまだ石油が30年あると、言い続けて、えー1990年になったらなんと石油はあと45年あると言い出した。

それ以降も色々な出来事が、ありました。ソ連が崩壊して、したり、米国が、初めて外部から攻撃を受けるという、9.11という出来事もありました。

そして、今では石油はあと50年あるというそういう時代に入ってる、のです。

私はこの図を作りながらこう思った。石油が20年でなくなると言われて、20年でなくなるという時代が20年続いた。石油が30年でなくなると言われた時代が約30年続いた。今石油はあと50年っていう時代に入っている。その時代があと50年続くと。いうのが、私の考え方、です。

1990年からそういう時代に入って既に20年間、石油はあと50年って言ってるわけ・・・言ってるわけです。でこれからあと30年間そう言い続けると私は思います。2140年(←2040年の言い間違い?)まで。では2140年になったら今度は何て言うと思います?

私はそこで一つ冗談を言いたくなる。2140年になったら、石油はあと100年でなくなるという時代に入るだろう。そしてその時代が100年続くと。言いたくなる。

まあさすがにそれはたぶん当たらない。既に、石油は、資源が底をついて、ピークオイルという説が出てきて、もうすぐ、石油の時代が終わると、言われてるので、えーさすがにあと100年、2140年からあと100年ということはないだろうとは、思うけれども、少なくとも石油がすぐになくなってしまうというような宣伝はインチキだった。

こんなことに国家の命運を賭けたのは間違いだったし、私のように自分の一生を原子力にかけるということも、間違いだった、のです。もっともっと自分の、人生の選択というのは、科学的に、ちゃんと考えなければいけないと、私は思います。

それでも、石油はいつかなくなるだろうと、いうことはもちろん、本当です。


【続く】
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