2002年にロシア人の映画監督によって創られた、この作品は、フィンランド語を話すヴェイッコ、ロシア語しか話せないイヴァン、そして、サーミ語しか話せない女性のアンニ、という互いの言葉を理解できない3人の、微笑ましくも、ハチャメチャな「共同生活」を描いた「21世紀の絵本」である。
以下、筆者の想像(妄想ともいう)を交えて、この映画の感想を書かせていただこう。
舞台は、第二次大戦時のラップランド。文明と人々から見放されていた「欧州のド田舎」ともいえる土地である。しかし、当時の為政者と参謀将校たちは、この地を覚えていたようで、「最果て」のラップランドも戦火に巻き込まれていた。
ラップランドは、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、そして、ロシアの4カ国にまたがる地域であり、北極圏をも含む欧州の「最果て」とも言える地域でもあり、サンタクロースが「年に一度の大仕事」のために英気を養っていても、おかしくない場所である(笑)。人々はトナカイ等の牧畜や漁業などを営んでおり、「美しくも厳しい」大自然の恵みを得るために、勤勉とならざるを得ない「森と湖の国」でもある。
ラップランドwiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89
この地で戦っていたのは、主にソ連とフィンランド、そして、フィンランドを援助していたドイツであった。そんな中の1944年初秋、ソ連とフィンランドは、カレリア地峡(ソ連とフィンランドの国境地帯)で、スカンジナビアの歴史でも指折りの「ドンパチ」をやらかした後、双方とも「人殺し」に疲れ切り、和平の糸口を模索していた。
この映画に出てくる戦争「継続戦争(第二次大戦の一部)」wiki
(彼らが出会ったのは、この戦争の終盤においてである)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%99%E7%B6%9A%E6%88%A6%E4%BA%89
そんな「欧州の最果ての地」に2人の不運な兵士が居た。
1人はフィンランド人の狙撃兵、ヴェイッコ。
彼は祖国の危機に「目覚め」、スウェーデンの大学での学業もそこそこに、フィンランド軍へと入隊した(多分、両親の反対を押し切って・・・)。 しかし彼は、旨そうに煙草を吸うソ連兵をひとり射殺して以来、「平和主義者」へと転じ、「誰一人として殺さない」ことを誓う。
だが、そんな彼の存在を「戦友」たちが許すはずもなく、結局、彼は、ラップランドの草原において、足枷で巨岩に結わえ付けられ、最低限の水と食料、狙撃銃と、そして、よりによって、ドイツ軍の制服を着せられて(ドイツ軍への憎悪に満ちたソ連兵に、「ちゃんと」殺されるように・・・)、「死刑同然」に、おいてけぼりにされる。
もう1人の不幸な兵士は、ソ連軍の中年の大尉のイヴァン。彼も最初は、「みんなのため、祖国愛に燃えて」陸軍に志願。このころのソ連軍は人手不足だったことから、読み書きはおろか、長文をも読みこなし、人並み以上の文章を書けるイヴァンは士官となる。
しかし、スターリングラードを含む激戦地を転々とし、望みもしない人殺しを経験していくうちに「魂を抜かれていく」ような思いに駆られていく。
そんな折の1944年夏、ソ連軍のフィンランドに対する大規模攻勢へと駆り出される。そつなく軍務をこなし、運良く生きながらえてきたイヴァンであるが、やがて、書き残した文章が「反国家的」だと、難癖をつけられ、彼は銃殺を待つ囚人兵へと貶められていく。
しかし、彼ら2人の不幸な兵士にも、まだ「運」が残っていたらしい。
フィンランド兵のヴェイッコは、自身を結わえ付けている岩と足枷を、熱を加えた直後に、水をかけていく作業を根気よく続けていき、ナウシカよろしく弾薬から外した火薬を発火させるなどの努力を重ね、やがて、脆くなった足枷を取り外すことに成功する。
かたや、ソ連兵のイヴァンは、友軍の戦闘機による誤爆によって、彼の処刑と護送を担当する兵士が即死する。
彼自身も重傷を負うも、本作の事実上の主人公ともいえる、少数民族のサーミ人の女性、アンニに助けられることとなる。そんななか、文字通り「九死に一生を得た」フィンランド兵のヴェイッコも、アンニの家に転がり込んできた。
サーミ人wiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%9F%E4%BA%BA
先にも書いたとおり、3人とも互いの話す言葉がわからない。しかも、当時のフィンランドとソ連は憎み合っており、ましてやヴェイッコは、ロシア人の敵意を集めていたドイツ軍の制服を、「戦友たち」によって着せられていた。おまけにフィンランド語とロシア語は全く違う言語だから、互いの言うことがチンプンカンプンである。
試しに、彼らの会話を聞いてみよう。
ヴェイッコ「僕は、民主主義者で、平和主義者だし、戦争はコリゴリだ!(フィン語)」
イヴァン「黙れ、ファシスト君(ロシア語)。」
ヴェイッコ「僕はロシア人の作家を尊敬している。(フィン語)」
イヴァン「そうか、お前はトルストイの家まで焼いたのか!(ロシア語)」
こんな具合だからソ連兵のイヴァンは、平和主義者のヴェイッコを「ファシスト」と思い込んだまま、彼を殺そうとする。しかし、何せイヴァンは重傷を負っていたものだから、大事には至らず、ズッコケた笑い話に終わってしまう。もっとも、それは「戦争」という名の「文明のもとでの殺し合い」の馬鹿馬鹿しさを、寓話的に表現してもいるのだが・・・。
サーミ語を話すアンニと、フィンランド語を話すヴェイッコとの間の意思疎通も、これまた無茶苦茶だ。「典型的な」フィンランド人であるヴェイッコは、すっ転がっているドラム缶を利用してサウナ風呂を作ろうとする。それを見たアンニが
「ちゃんと、ドラム缶を元にもどしといてね(サーミ語)。」
と、声をかける。しかし、サーミ語を解しないヴェイッコは、どんどんサウナ風呂を完成させてしまう。はてさてドラム缶を、どう戻そう・・・(笑)。
ロシア語を話すイヴァンと、サーミ語を話すアンニとの間の意思疎通も、チンプンカンプンである。「軍隊じこみの旨いキノコ・スープを作るからな!」と、意気盛んなイヴァンであったが、中のキノコが「良くない」ことを知っているアンニは、
「そんなスープ、止めときなさい(サーミ語)。」
と、注意する。
しかし、彼女の話すサーミ語を解さないイヴァンには、アンニの注意を理解できない。そんなイヴァンをアンニは、
「彼はキノコで霊と交わる気だわ。彼ってシャーマンなのかも(サーミ語)。」
と、勝手に考えてしまう。
結局、自信満々にキノコ・スープを食べたイヴァンは、悪夢のバッド・トリップを味わうハメに・・・。
そんなハチャメチャなコミュニケーションのなか、女主人のアンニは「厄介者」の2人を受容れ、世話をし、3人で「木をきり、川で洗濯する」生活を続けていくなか、2人の不幸な兵士は、さまざまな方法で「鉄と死の、狂気の匂い」を洗い落としていく。そして3人は打ち解けていき、アンニは、ヴェイッコとイヴァンの子をもうけることとなる。
やがてヴェイッコとイヴァンは、一度は戦争によって失った生気/正気を取り戻した後、平和になった故郷へと戻っていく。それは、大らかさと豊穣さに満ちた、数千年前に過ぎ去りし「文明以前の時代」を後にしてきた、我々の祖先の姿の「再来」でもあるまいか・・・。
物語の終局においてアンニは、生まれてきた我が子2人に、彼らの生まれてきた経緯を語って聞かせる。彼女の話は、互いの言語が解らない状態で生まれたものであるから、「勘違い」等を数多く含んでいる。しかし、2人の「父」の人となりを表すには十分すぎるものであろうし、アン二の「勘違い」には、「真実」以上の本質が数多く含まれている。
「歴史」や「神話」が生まれてくる道程というのは、案外、このようなものなのかもしれない。
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