現在の日本の社会では、常に大人としての行動が全ての人間に求められ、法律や社会の一般常識に基づいた一般的な秩序を守り、何よりも他人に迷惑をかけないという事が第一に社会が成り立っている。
何度も書いている事だが、私の好きな世界ではない。
法により秩序のある世界は良いとは思うが、法ではなく、人格、人間の生き様として、信念として
弱い人間をイジめない、卑怯な事をしない、弱きを助け悪を挫く。
そういうのが理想だ。
仕事において、責任の所在をはっきりさせて業務を行うのは仕事効率を上げる上で仕方がない事だと思う。仕事において効率とは、かなり重要であるからだ。
ただ、日常生活においての、責任の所在をいちいち定めるのはどうかと思う。
歩いていて、向こうから来た人を避けたのに、なお、その人をぶつかったというようなケース。
あからさまに相手に悪意があり、わざとぶつかったというケースを除いては
おそらく責任の所在という意味では、自分1〜50%、相手50〜99%くらいの過失だろうか。
ただ、これを相手に
『私はよけたのにぶつかった、100%そっちが悪い。あやまれ!弁損害賠償しろ!』
と、詰め寄ったのでは話にならない。
1%でも自分が悪いなら、まずこっちが謝ってもいいと思う。
ただ都会は怖い。
こっちが先に謝ると、相手が『もう、いい加減にして!』という目で見てきて、完全に被害者側の人間になってしまう場合が多い。
なんでか分からないが
『謝られる=相手が100%悪い=自分は被害者』
という、訳の分からない、方程式が頭にある人間が多いのだろう。
これも、相手が、責任の所在をこちらの100%置いてしまったという事が原因でこうなったのだろう。
みんなが、責任の所在を明確にせず、関わった人間は全員、悪いんだと思えれば、争いは起きにくいと思う。
『自分は被害者、相手は加害者』
飲酒運転で死亡事故なんか起こした場合は、たしかにそういう関係が明確だとは思う。
ただ、そこまでハッキリと明確ではない場合に、過度な被害者意識の高さは、喧嘩しか生まない。
しかも、実際に裁判で金が取れる事例も多いので、自分は正義だと思っているというのもタチが悪いと思う。
いくら法で認められていても、ちょっとした被害で訴訟を起こして、相手から金をふんだくるような性格の人間を、私はいい人間だとは思わない。
ただそれが、生き様ならば仕方ないとは思うが。
嫌な目にあった時に、どうしてあの人はそういう事をしたのだろうか?と、相手の立場に立って真剣に考える事ができたら、そっちの方が次から嫌な目に合わない可能性が高くなると思う。
でも、みんな、こういう話をすると
『何で、私は一切悪くないのに、あんな人間の言う事聞かないといけないの?』
『私は一切、悪くないのに、何で謝らないといけないの?』
『何で、悪い事した人を優先して考えなきゃいけないの?』
と、僕にカラんでくる。
何でか?って、いうと、それがうまくいくコツだからだ。
”うまくいく方法” と ”自分のくだらないプライド” と どっちを優先しますか?
と、いう話だ。
悪い方が謝った方がいいに決まっている。
けど、うまくいくためには、悪くないほうだって謝った方がいい事だってある。
その為には常に責任の謝罪ばっかり気にしたしゃべりをするべきではない。
それを追及して、誰が得する?
心はすっきりするかもしれないけど、人生はボロボロになると思う。
プライドか? 人生か?
って選択だと思うけどな。
ログインしてコメントを確認・投稿する