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2011年11月14日23:29

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映画『ミッション:8ミニッツ』 −ダンカン・ジョーンズ、侘びさびの地平−

限りなくダークな【時をかける少女(細田守版)】。
あるいは、【うる星やつら2 イビルドリーマー】。


こう書いた時点で、勘のいい方には、ネタが知れてしまうと思うのですが、ダンカン・ジョーンズ監督の作品は、ネタそのものの鮮度を楽しむよりも、こなれたネタの調理方法や、その完成度を堪能できる造りが秀逸なので、どうか、どうか、一人でも多くの方に劇場に足を運んでいただきたいと思うばかりです。




さて、周囲では、既に多数の方々がご覧になっている中、ワタクシも、監督の暖かい眼差しを感じた一人であります。
スティーブンスの父への電話の件とか、ラスト1分間のワンマンショーとか、ストップモーションとか…

魂の自由を奪われた者が、既に失われた魂の救済に命を賭ける件とか…

それは、それは、天邪鬼には珍しく落涙寸前にまで追い込まれたりしました。

しかし、ワタクシの場合、これらの暖かな眼差し以上に、監督の心の奥底にある、ある種の達観を感じていたのです。
それは、前作【月に囚われた男】でも薄々感じた内容であり、表立ってこないものの、作品世界を貫くフレームとして内面を強固に支えている感覚が、似通って見えてくるのです。

一言で言うと、それは、『幸福の格差』です。

前作では、月で働き続けるサムの対岸には、サムの尽力の上澄みで幸福を謳歌する『もう一人』(あるいはその他大勢)の存在がありました。

今回、その構図は、自らの意思に関係なくミッションに強制参加させられるスティーブンスの姿に重なりますし、前作同様、ちゃんと『もう一人』も出てきます。

おまけに、今回の『もう一人』が、主人公同様の幸福を勝ち取る為には、新たな別メニューの『8分間の試練』を経ねばなりません。
これは、ありがちな、過去と未来の無限ループではなく、次々に続く無限のドミノ倒しのような構図になっていて、単刀直入に言えば、すなわち【まず、最初に、大量死ありき】なのです。

この、『無関係な人々と引き換えに、自身の願いが成就する』構図というのは、相当、辛辣で皮肉にまみれています。
まるで、『正義の信念を貫くために、無関係な人々の日常を焼きつくす』事への意趣返しのようですし、実際、『テロとの闘い』という方便こそ、そういう類の典型です。


ちなみに、この手の構図については、【時をかける少女(細田守版)】の『魔女伯母さん』が、同じ事をさらりと台詞で語っています。
「自分が得した分、誰かにしわ寄せがいってるんじゃないかしら?」


ダンカン・ジョーンズ監督による2作品ともに共通するのは、『幸せを掴む人物のウラには、赤の他人の辛酸困苦が存在しており、しかも、最初に置かれた互いの立場によって出てくる目の大小はあれども、大方の結末は変わらない』という、実にドライな構図であり、その強固な構図を人間の持つバイタリティが必死に跳躍していこうとする展開をみせることです。

逆にうがった見方をするなら、こういう色彩の作品を作り続ける監督の心中には、自身の(恵まれた)立ち位置に対するある種の遠慮や謙虚さが、深く刻みこまれているようにすら思えてきます。



もちろん、どんな立場であろうが、結果がどうであろうが、必死に生きるのが人間であり、その必死さを暖かく真摯に描ききる姿勢にこそ、ダンカン・ジョーンズ監督作品のうまみがあることは、間違いないでしょう。

2作目にして、この監督のもっと別の顔をみてみたいと思う反面、無粋で厚顔無恥で大味な娯楽作品を乱発されるくらいなら、『侘びさび謙虚路線』をずっと貫いていってほしいとも思うのは、贅沢な悩みなんでしょうか。











以下余談(ネタバレですので、作品未見の方は読まないでね)









ところで、ショーン先生。
恋人を盗られるは、人生を乗っ取られるはで、ホント、ご愁傷様…。









以下悪夢の拡張編
(ミッション:8ミニッツ_パート2/作品未見の方は読まないでね)



スティーブンス大尉は、列車の中で眼が覚めた。
しかし、直後に列車は大爆発。
列車は、卑劣なテロの犠牲になったのだ。
スティーブンス大尉は、車内で爆死した犠牲者の記憶に送り込まれて事件の鍵を探すことになるが…

送り込まれた先の肉体の持ち主は、ショーン先生!(やっぱり)

てか、このショーン先生、中身は、スティーブンス(旧)なのだが、スティーブンス(新)は、そんな装備で、大・丈・夫・か?!

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