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2011年11月03日19:33

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東北の地へ

9/23金〜25日の三連休に、東北に行ってきました。一度は行かなくてはとずーっと思っていたのですが、自分の体調などでなかなか踏み切れずにずるずると日が過ぎ、マイミクさんの震災ボランティア体験記を見て「ここなら私も行けるかも!」と、出発の数日前に思い立ちました。どうせなら友人を誘ってと声をかけたところ、ラッキーなことにあっさりいつもの旅仲間がつかまり、女3人の旅に。

行き先は釜石。この地を選んだ理由は下記の通りです。情報源はマイミクさんの日記とボラセンや釜石市のWebサイトでした。
・当日朝受け付けのボランティアセンターがある
・体力自慢でない人にもできる作業がある
・近くに通常営業しているホテルがある

今回の旅は、ザ・震災ボランティアというストイックなものではなく、観光がてらという感じです。

★9/23金 東京−盛岡−平泉−釜石

朝10時過ぎの新幹線で東京を出発し盛岡へ。盛岡駅で冷麺を食べた後、レンタカーを借りて世界遺産になった平泉へ向かいます。

中尊寺は10年以上前に一度訪れたことがありますが、世界遺産登録後は初めて。金色に光る金色堂はとてもまぶしく、これが野ざらしで建てられたのってすごい(酔狂な?)ことだと思いました。前回はキラキラ感にばかり目がいきましたが、今回は柱に施された螺鈿細工に感動しました。この地は震災の爪あとがほとんど感じられず、観光客も大勢いて「東北、元気じゃん」と意外な気がしました。

中尊寺を17時に出て、一路釜石へ。ホテルに着いたのは19:30くらいで外は真っ暗。ホテルは釜石の海沿いの高台にあります。実はホテルをとるのが大変で、釜石で営業している旅館やホテルに電話をしまくったのですが、三連休は満室なところが多かった。行ってみて分かりましたが、復興のための作業員の方が大勢泊っていらっしゃるため、観光客がいなくてもホテルがいっぱいなのですね。ホテルの玄関にはずらーっと安全長靴が並び、宴会場も作業員の方の宿泊場になり、館内は作業着を着たおじさん達であふれている、という状態。平泉から(割と)きれいな恰好で到着した女三人組は食事会場で完全に浮いていました。ホテルは高台なので津波の被害は受けていないようでしたが、あちこちに亀裂が入り、部屋についているお風呂の壁もタイルがはがれたりなどの被害を受けていました。

寝る前に部屋でテレビを見ていたら、釜石付近を震源とする直下型の震度4くらいの地震がありました。最初に「パンッ」という音がして地面が一度ガクンと下がりました。「これ地震?」「えー、違うよー、下で何か作業してるんじゃないの?」と会話していたら、1〜2分後に地面が縦にバウンドするような揺れがやってきました。私達と、隣の部屋の観光客らしきオバ様は廊下に飛び出したけど、それ以外の人たちはいたって平静。こんな揺れ、たいしたことないんでしょうね。しかし、直下型の揺れというのは独特でちょっと恐かった。

★9/24土 釜石にて

朝8時にボランティアセンターまで車で行き、申し込みをしました。結構団体できている人が多かった。ここは作業に必要な道具がボラセンに用意してあって、当日の作業に応じて貸し出しをしてくれます。私も軍手・マスク・安全長靴は持参したのですが、軍手以外は結局使わずじまいでした。

この日はまず「物資を置く倉庫にするために、ある部屋を掃除する」という作業をいただきました。友人ときている場合は、できるだけ同じグループに入るように配慮してくれます。私達3人+前日から作業にきていた女性2人の5人で、ほうき、ちりとり、バケツ、雑巾を持ち、私達のレンタカーに5人乗りして現場へ。途中、津波の被害がひどかった釜石の商店街を通りました。ほとんどの建物の1階は壁がなくなり、信号も動作していません。赤いスプレーで×印が書いてある建物が多く見られましたが、これらは倒壊の危険があるため壊される予定とのこと。ほとんどの店は営業していない状態でしたが、養老の滝が建物をきれいに直して頑張って営業中でした。

清掃を指示された部屋は市の職員の社宅(だったと思う)ということでしたが、引っ越してしばらく経っているらしく、玄関の鍵を開けてもノブが回らない状態でした。裏に回ったら居間から庭につながるドアが開いていたので、そこから入り込んでホウキで掃きだしの後、雑巾で水ぶき。中はカマドウマやダンゴムシの死体オンパレードって感じでしたが、物資を置ける程度の状態にはしてきました。履いていた靴下が真っ黒に・・・。10時頃から作業をはじめて12時頃には終了したので、ボラセンに戻って作業報告と道具を返して昼食。朝コンビニで買ってきたおにぎりを、ボラセンのテントの下でいただきます。

午後はボラセンの脇で「写真洗浄」の作業です。これは、泥の中に埋まっていたアルバムなどの写真を水で洗浄して干すという作業。持ち主から依頼されてのものもありましたが、ほとんどは復興作業で発掘されてきたものだそうです。洗浄された写真は近くの公民館?みたいなところで公開され、心当たりのある方が引き取っていくのだそう。結構な割合で引き取られるんだよ、とリーダーのオジサマが話してくれました。

16時に作業終了となり、レンタカーでちょっと海沿いを北に向けて走ってみました。海沿いは、倒壊したり1階が抜けた建物、つぶれた車の列、そして瓦礫の山が延々と続きます。テレビで報道されている一部の地域だけが、被害がひどいわけではない。東北の海沿いはどこもこんな状態なのだなと知って衝撃でした。20分くらいで大槌町に着きましたが、ここは見事に町が流されて更地になっていました。海に向かってひらけた扇状地にできた町の、一番海沿いにいた人達、高台も遠くて逃げるヒマもなかっただろうな・・・。復興復興と簡単に口では言っても、大槌町みたいに町全体がなくなってしまったところは、今後の津波対策も含めて町の将来像を描くのが難しいだろうな・・・。現実を見せ付けられていろいろと考えてしまいました。

夜はよく晴れていて、夜、ホテルの駐車場に星を見に出ました。天の川まで見えた星空、吸い込まれそうなほどきれいでした。

★9/25日 釜石−遠野−盛岡−東京

最終日、朝ボラセンに出向いて、午前中だけの作業参加を申し込みました。前日に「半日参加も可能」と確認したうえでのことです。釜石のボラセンは結構融通をきかせてくれるところのようで、私達以外にも午前だけ、午後だけ、という半日参加の人が結構いました。ただし時間が限られていると移動しての作業は割り振りにくいらしく、写真洗浄作業を割り振られる人が多いようです。

この写真洗浄という作業、内容はまったく難しくはありません。泥だらけのアルバムから写真を丁寧にはがし、筆を使って泥を水で洗い流す。その後、天日で干して、アルバムごとに輪ゴムでまとめるという作業です。アルバムだけでなく、バラの写真の束だったりすることもあります。

写真の裏には、日付や場所が書き込まれていることも。旅行だったり、学校の思い出だったり、子供の成長期だったり、結婚式だったり、様々な人生のイベントが詰まった写真達。この写真に写っている人は今、どうしているんだろう。無事でありますように。この写真が無事に持ち主のもとに戻りますように。

12時で作業を終了し、ボラセンの人達に挨拶をして、営業している食堂で海鮮丼をいただいてから、帰路へ。途中遠野で遠野ふるさと村に寄り、日本の昔話に触れたりしながら、盛岡に戻り、ぴょんぴょん舎で焼肉を食べて、東京に戻りました。(この翌日から、悪夢の激務が始まったのでした・・・)



東北を訪ねてみて、津波の被害を受けたのが報道されている一部(それでも多いけど)ではなく、かなり広い範囲にわたっているということにまず驚きました。さすがに半年経っていたので片付いてはいましたけど、直後はまさに戦場みたいな凄惨な状況だったのだろうなと思います・・・。そしていまだに片付けまではいっていますが、復興は遠いなという感じも受けました。

その一方で、ちょっと海から離れると、本当に被害が少ない。もちろん揺れによるダメージはあるけど、揺れだけだったら被害は相当少なかったのだろうな。そして、東北全体が地震で壊滅的な被害を受けたのではない、ということにも少し安心しました。(東北の人に怒られるかな?)でも、だからこそ、観光客の受け入れが難しい沿岸部はともかく、それ以外の地域には今まで通り、いやそれ以上に、観光に行ったりしたほうがいいんじゃないかと、なんかまとまりませんがそんな風に感じた旅でした。

私自身の作業が一体どれだけ釜石の方の役に立ったかは、かなり疑問です。体力のある男性のほうが役に立つだろうなあとか、一度だけじゃなく何度か行った方がいいのだろうなあ、など。。。でも、とりあえず一度、行ってみてよかった。そう思います。
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