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2011年09月03日08:41

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法相になってから勉強するって・・・!

http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1729514&media_id=4

≪平岡秀夫法相は2日夜の就任記者会見で、死刑執行について「大変厳しい刑罰であり、慎重な態度で臨むことは当然だ」と述べた。同時に「欧州などで死刑廃止の流れがある一方、国民の感情は死刑の必要性、有用性に向いている面がある。一方的な考え方でなく、幅広く勉強したい」と述べ、死刑制度に関する省内の既存の勉強会の議論などを踏まえて対応していく考えを示した。≫

 前任の江田五月も在任期間中に死刑執行がゼロであったという。そして新しい法相の平岡秀夫は、「幅広く勉強したい」などと呑気な発言をする。彼らは大臣として職務怠慢であると言わざるを得ない。彼らが仮にどこかの企業の社長だったとして、社長として決裁すべき事案を棚上げして先送りにしたり、いまから勉強しますなんて発言することなど許されよう筈もない。彼らの言動はそれくらいに世間の常識とずれている。

 江田五月が個人として死刑廃止論者であるか否かは彼個人の問題である。法相に就任する以上、個人の好き嫌いは脇に置いて、法相として決裁すべき業務は粛々とこなすべきである。それを怠るというのは、明らかな公私混同であり、職務懈怠である。仮に本当に死刑執行することに耐えられないというのであれば、最初から法相に就任しなければよいのだ。

 正式な裁判を経て確定した判決が、「懲役5年」の実刑判決であったとすれば、被告人は直ちに収監される。誰かの勝手な裁量で執行猶予を設けて、いつまで経っても被告人を収監せずに、被告人を野放しにしていたとすれば、それは大層な問題になることだろう。それと同じで、判決が「死刑可然」というものであるならば、可及的速やかに執行まで行なうのが当然であり、民意を反映した行政手続きではないのか。

 主権者である国民が本当に死刑を望んでいないのであれば、所定の手続きを経て刑法を改めて、死刑を廃止すればよいのだ。そうした正しい手続きを無視して、法相個人の考えや判断で死刑執行を遅らせたり先送りにするのは、主権者である国民の意思よりも自身の個人的判断を優先しているということであり、これは随分と国民を軽んじた行為ということになる。

 繰り返すが、思想は自由なので、誰が何を考えようが勝手である。但し大臣だろうが、公務員だろうが、一般のサラリーマンだろうが、一旦ポストに就いて、給料をもらって仕事をする以上は、そのポストに求められている本来業務はきちんと滞りなくこなすべきである。それが嫌なら辞めるしかない。

 そして我が国にも死刑廃止論者が相当数存在することは知っているが、本当にそれが主権者である国民の主流となるべき考えであるのならば、然るべき手段で現在の刑法改を改め、死刑制度を正式に廃止することを目指すべきなのである。

 法で定めたものである以上、変えられないものは何もない。憲法でさえ改正するための手続方法はきちんと定められている。刑法が変えられないとは思わない。そうした正しい手順を無視して、法を守るべき法相が自身の趣味趣向で法を曲げる動きをするというのは、一種のテロ行為であり、断じて許す訳にはいかないと思う。
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