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2011年08月29日14:14

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拡散希望 壽屋音次郎氏と関係各位へ

(2006年7月30日A-Showブログ画面より。
私の作詞作曲した”Friday Night Rainy Night"をかってのA-Show氏 現 壽屋音次郎氏が自分が作ったと偽って唄っていた事実を認め、謝罪したもの。
文中に文章を写し再録いたしました。)

拡散希望 壽屋音次郎氏ならびに関係者各位へ

私は1989年に”Friday Night Rainy Night"をという楽曲を
作詞作曲して現在も唄っているドクトルミキと申します。

1958年生まれ 大阪の52才の弾き語りシンガーです。
当時の桃谷ビーハウスを含め、各ライブハウスにて今も同曲を唄う事があります。
6枚発表している自作アルバムの中にも「酔いどれ路地の朝」から改名したアルバム
「フライデイナイト、レイニイナイト」があります。

壽屋音次郎氏はかってA-Showという芸名で音楽活動されていたことを
みなさんは知っておられるでしょうか。

そのA-Show時代 2006年7月以前からA-Show氏は
私の拙作”Friday Night Rainy Night"を
「自分が苦労したビーハウス時代に作った大切な唄なのでCD化せず、
ライブでしか唄わない」という虚偽のMCとともに
各ライブハウスやFMラジオ等で唄い回るという事実がありました。

それを指摘して下さったのは当時のA-Show氏のファン Uさんでした。
偶然私のCD『酔いどれ路地の朝』を購入され、収録されていた私の
”Friday Night Rainy Night"を聴いて連絡してくださったのです。
単純に「”Friday Night Rainy Night"の作者はどちらなのか」
ということだったのですが、驚いた私はすぐに当時のA-Show氏に
連絡をとり、結果A-Show氏は自分の非を認め2006年7月30日のブログ上に
謝罪コメントを掲載いたしました。
jpg画像はそのブログの画面そのものですが、
携帯電話などでは読解しにくいかもしれませんので以下に内容を写して記します。


「A-Show Blog 『ぼちぼちほなほな。』2006年7月30日

昨日のブログで”Friday Night Rainy Night"はドクトル・ミキさんが作詞作曲
した曲だと書きました。あくまで僕が唄っているのは彼のカバーであるということを。僕のファンと称するひとから僕のライブを録音したものの中に”Friday Night Rainy Night"を僕があたかも自作した曲とお客さんに思わせるMCがあったと指摘されました。そこに弁解の余地は無く当然100%僕の非です。
ドクトル・ミキさんにこの場を借りてお詫びします。僕が大事に思っている桃谷ビーハウス時代の厳しくも素晴らしかった時代をいつも思い出させてくれる
”Friday 〜"を唄わせていただいたのに結果的にその当時のミュージシャン仲間である作曲者ミキさんに多大なるご迷惑をかけてしまったことを心から申し訳なく思っています。
ここであらためて”Friday Night Rainy Night"はドクトル・ミキ作の曲であり僕の演奏はあくまでもカバーであったというこをご理解ください。そして僕自身の認識の甘さを律するためにも今後一切この曲を演奏しないこともここに記しておきます。」

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私も謝罪をうけいれ、その後A-Show氏は沖縄に移住したと聞き及んでおります。
また私はA-Show氏の今後も考え、自分自身の掲示板や記事にこのことを
記してもA-Show氏の行為であることは出さないようにしておりました。

ところが先日8月26日 大阪日本橋のライブハウスに出演中の私に
驚愕の知らせが飛び込んで来ました。
壽屋音次郎氏が自分の作として”Friday Night Rainy Night"をライブで
唄っているというのです。

来場したお客さんの一人が少し前YouTubeで見て教えてくださったのです。

私はライブ出演中でしたので”Friday Night Rainy Night"を
私が作者と明言して唄ってくれているシンガー谷輪雅泰くん
http://singer-taniwa.net/ にすぐ連絡をとり
パソコンで確認してもらいましたが、同画像は削除されたあとのようでした。

私は桃谷ビーハウス時代のA-Show氏の唄やギターの才能をよく知っており
現 壽屋音次郎氏のシンガーとしての実力も容易に理解出来ます。

しかしみなさんもお分かりの通り、それと作詞作曲者を偽って述べることは全く別です。
また彼のアレンジは
89年当時、ビーハウスで真っ先にカバーしてくれた高仲浩氏によるものです。

壽屋音次郎氏が改名して再出発し、私に諒解を求めた上で
”Friday Night Rainy Night"私の作として唄っていてくれたとしたら
当時の後輩としての彼をとても誇りに思えたでしょうに。

すでに名前を伏せたり、そういったことをするのを止める決心です。
当時の彼のメールや関係各位のメールも全て保存しております。

今回公開したブログページも1年を待たず削除されていた記憶があります。
普通こういう記事はブログ廃止まで残しておくのが道義というものです。

また今後の用心のためにMacの画面保存機能を使ってブログページをjpg化しておいたのですが、これも当時はよもや公開することになるなどとは思っておりませんでした。

”Friday Night Rainy Night"の作者である私の心痛をお察しになり
善処されることを心からのぞんでやみません。

なお”Friday Night Rainy Night"を収録したアルバム
「酔いどれ路地の朝は」この件から「フライデイナイト、レイニイナイト」
に改名した事は先に書きましたが、
1989年に”Friday Night Rainy Night"を作詞作曲した経緯はアルバムの
ライナーノート並びにhttp://www.eonet.ne.jp/~dylans/buntuku-2.htm
のページの最後の記事「酔いどれ路地の朝」に詳しく記しております。

ドクトルミキ

追記
2011年10月に作者自身の演奏がユーチューブにアップされています。
http://www.youtube.com/user/YAKAI2010?feature=mhee#p/u/34/NZN3wffUqis
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