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2011年07月23日07:07

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脳死は死であることを法律で定めたら?

小児の臓器提供 進まない背景
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1675682&media_id=2

≪同日午後7時、男児のいる集中治療室の隣室に集められた両親とそれぞれの祖父母計6人に治療を担当する女性医師(27)が告げた。人工呼吸器をつけた男児は眠っているように見える。だが、意識が再び戻ることはない。説明を受けた20代の母親が涙をこぼした。
 男児は1月下旬に40度の高熱と激しいけいれんで救急搬送され、インフルエンザ脳症と診断された。投薬治療を続けていたが、意識が回復しないままこの日を迎えた。男児の祖母が詰め寄った。「孫は脳死なんですか」。医師は男児に臓器提供の機会があることを説明し、提供する場合にのみ脳死かどうかを判定するという現行の制度を説明した。家族はすぐに臓器提供を断った。脳死と認めなくてよいのなら、「うちに連れて帰りたい」。
 女性医師とともに診療に当たった男性小児科医(43)は「家族が提供の意思を示したら、おそらく脳死と判定されるケースだった」と振り返る。
 病院は治療を継続し、母親は3歳になる姉を連れてほぼ毎日見舞いに訪れている。男児は脳死とみられる状態でも脊髄(せきずい)反射などにより手足が動き、排便もする。女性医師によると、母親はその度に喜び、動きが少ないと「きょうは機嫌が悪いみたい」と悲しむという。人工呼吸器などの生命維持装置の管理の方法を家族が習得すれば、男児は今月中にも帰宅できる。
 成人は脳死から数日で心停止に至ることが多いが、小児は心停止まで長期間にわたる場合がある。小児科医は「(臓器移植が進む欧米各国のように)『脳死は人の死』とする死生観が日本に根付かない限り、特に小児の脳死臓器提供は増えないだろう」と指摘する。≫ 

 家族の心情を考えれば、この記事のような事例を全面的に否定することはできないのかも知れないが、はっきり言えば、何の意味もない家族の自己満足的な行為であり、それに振り回される周囲の迷惑を考えるべきであろう。

 特に医療関係者は他にもやることはたくさんある。彼らは治る患者を助けるために体力・時間を投じるべきであって、この子供のように絶対に意識を取り戻す見込みがない患者のために手を取られるのは、社会的にも無駄である。それによって治るべき患者に割くべき体力・時間が浪費されるようならば、有害ですらある。

 でも似たようなことは、きっと、世の中でたくさんあるに違いない。脳死を死であるということを、家族が受けとめることができないためである。

 したがって、「脳死は死なんだ」ということを、明快に法で定義すれば、こうした「迷惑行為」(不謹慎かもしれないが、社会的には迷惑行為である)を防止することができるのではないのか。

 また「脳死は死」であることが社会的に明確化されれば、臓器提供も促進されることになる。僕は医学があまり進歩しすぎるのも考えものだと従前から思っているのだが、それでも意識が戻る見込みのないような患者の臓器が、治るべき患者のために有効に活用されるのであれば、意味のある行為といえよう。

 死生観は人それぞれであるが、死というものを、「少なくとも日本の法律ではこう考える」という基準を設けることこそ、医療行為の浪費を防止する上でも、臓器提供を促進する上でも、避けて通れない必須事項であろう。
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