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2011年06月24日03:48

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みんなで笑おう!トンデモ論議「津波兵器と第二次大戦」

 雑誌「怖い話」やネット上には以下のような文章が跳梁跋扈している。
 どうせ孫引きの曾孫引きでしかなく、ソースも糞もオリジナリティも糞も無い文章なので、拾ったままペーストする。この種の論者は、内容がどれも同じだからだ。
 ニュージーランド外務省の情報公開法に基づき、1999年に公開した極秘外交文書の一部(翻訳されたもの)。

○本土決戦を唱える日本に対し「戦意を喪失させるには地震・津波攻撃」が有効手段であると、最後まで検討されていた。

○米政府は第二次大戦の末期から地震・津波兵器の開発を進めてきた。
 ニュージーランドの沖合いで実施された津波爆弾『プロジェクト・シール』の実施では 30メートルを超える津波(Catsduke注:われわれは今回の東北の経験から、この記述だけでも既に眉唾物だと分かる)の発生に成功。日本を降伏させるために、この津波爆弾を使うか、原爆を投下するか検討されたが、精度が高く、効果が大きい原子爆弾が使用された。

○ニュージーランドで研究開発にあたっていたコンプトン博士が米軍の極秘作戦において中心的な役割を担っていた。同博士は、その後もビキニ環礁での核実験を視察し、津波兵器と核兵器の比較検討を継続して行ったという記録が残されている。

○2005年4月に米国で公開された1945年(昭和20年=終戦時)、CIAの前進である米戦略事務局OSSによって作成された「地震を使った対日心理戦争計画」と題する米軍機密文書によれば、第二次大戦末期の1944年にカリフォルニア大学のバイヤリー教授を中心とする地震学者たちが総動員され、「日本近海のどこの海底プレートに強力な爆弾を仕掛ければ、人工的に巨大な津波を起こせるかシュミレーションを繰り返した」という。

 ここでいう「強力な爆発物」とは、開発まもない「原爆」のことである。この文書には「日本本土攻撃作戦」とし各章に副題が付けられ、「悪魔の攻撃」と呼ばれる章では、「日本人の目を覚まさせるには地獄に飲み込まれたと思わせる必要がある。そのためには、地震を恐れる日本人の特性を徹底的に突くべし。地震攻撃に勝るものはない」と結論付けている。

○当時の米軍における研究開発部門の責任者であったスタンレー・ロベル博士やマーシャル・チャドウエル博士の分析によれば、「日本の周辺にある海底の地震プレートをピンポイントで爆破すれば、巨大な津波を発生させることが可能となる。目標とすべきプレートの周囲8キロ以内に爆弾を仕掛ければ、一年以内に狙った場所で地震を起こすことができ、津波も誘導できる」。

○この秘密文書の最後には「地震・津波攻撃の目的は日本人をパニックに陥れることで、神国日本や軍部独裁に対する不信感を醸成することにある。日本人が国家を捨て、個人の生存を第一に考えるようにするためのショック療法ともいえる」と記されている。(引用終わり)

○しかし、結局「原子爆弾」投下に決定した。それは戦後ソ連との冷戦に対し、死者の数が大きいだろうし、とにかく威嚇するのに「派手?」であるからだろう。そしてその効果を比べるため昭和20年8月6日広島(プルトニウム型)、8月9日長崎(ウラン型)の二種類を実験した。
 ところがどちらも実際は核分裂は20〜30%ほどしか起きず不発だったことが判明している。(「臨界」に達する圧縮方法が不備だった)大きな被害は、核を圧縮するための通常爆弾の威力だった。

 この種の与太話を平気で信じる方々の頭には、「プレート連鎖型地震」(太平洋プレートが日本列島の乗る北米プレートに潜り込むことで蓄積した歪みがもたらした地震)に関する地球物理の基礎もないどころか高校地学の基礎知識すらないから、こうした地震を爆弾でどうにか誘発できると思いこんでしまうのだろうし、沈み込むプレートの反動のため一定の周期でこの地域で反復して起こる地震の歴史を無視して、すなわち、例えば、同規模の大地震たる貞観地震=869年(貞観11)当時に誰が地震兵器を仕掛けたのか、ロックフェラーがタイムトラベルでもしたのか(笑)という疑問も湧かない程度の、オツムしか無いことは明々白々なのだが、地震兵器を仕掛ける為に必要な筈の「潜水艦」の類に関する常識も無いのだろう。

 私は「丸」の愛読者でもないし「軍事研究」の愛読者でもないが、世代的に『サブマリン707』『青の6号』『スティングレイ』『原潜シービュー号』『クストーの海底世界』『海底軍艦』(順不同。笑)などの潜水艦もので育った男である。以下、そこから来る健全な見識および疑義を開陳してしんぜよう(爆)。

 プレートの各所に正しく地震兵器を仕掛けたいのなら、まずは深海に潜行せねばならないし、水圧に耐えられる爆弾の容器を開発できていなければならないことは論を俟つまい。すなわち、先ずは深海まで潜行可能な潜水艦と、次に海底で放出設置される際に、または海中に放出され海底に達するまでに、潰れないだけの爆弾用の圧力容器が開発できていなければならないだろう。そして、それら二つの開発はある意味同じ事だろう。
 
 ところがピカールによってケーブル不要の最初のバスカチーフFNRS-2が建造されたのがやっとこさ1948年のことだ。戦争中には開発が中断した代物として有名で、その潜水能力は戦後8年経って1953年にやっと900mを記録した程度のものでしかない。後にフランス海軍に売却され改造されてFNRS-3になって後、1954年2月に大西洋で深度4050mをやっと記録できたのだ。

 ピカール第二のバチスカーフたるトリエステ号は、1957年米海軍に買い上げられ、1960年にマリアナ海溝のチャレンジャー海淵に到達した。この時の深度が日本の測定から10,911mであることが分かっている。これは現在に至るまで世界最高記録である。

 たとえ海底での爆弾設置であろうが、何らかの作戦行動を取ろうと思えば、海上の母艦が発見されてしまうようなバチスカーフ的な潜水艇ではなく、軍事的な潜水艦でなければならないと思われるが、大戦後10年を経て1955年に完成した、有名な史上初の米原潜・ノーチラス号ですら、深度213m=700ftしか潜れない代物なのである。

 現在では、軍事機密とされる潜行可能深度ではあるが、軍事用潜水艦の形態[バラストタンクおよび圧縮空気タンクの規模と性能の限界]からは、攻撃型潜水艦の潜航深度は戦略ミサイル原潜で500m程度、攻撃型潜水艦でも600m程度とされり、最高記録でもチタン合金船殻だったソビエトの原潜K-278の1027mだとされている。
 あの、世界で最も進んだ潜水艦と言われたSHADOのスカイダイバーでさえ、やはり、1980年当時で600mしか潜れなかったのだ(笑)。
フォト
(写真:1980年北大西洋北部某所に浮上した所を撮影されたSHADO原潜スカイダイバー)

 ところが、今回の大地震の本震の震源の深さは24kmだ。24000mなのだ。
 私はこれ以上何も言う必要が無いだろう。即ち、海洋研究開発機構の地球深部探査船「ちきゅう」の太平洋底掘削調査でも2200mほどでしかない。これと同じ事を、あと21800m余分に行わなければ兵器を仕掛けられないのだから、科学リテラシーの乏しい人間だって、常識さえあれば、情報を総合する能力さえあれば、さすがに矛盾に気付くだろう(笑)。

 今ですら無理なのに、戦争当時にそんなテクノロジーがあったはずが無い。米政府は当時からレプリカント宇宙人の力を借りていたという、お得意の与太話でもここでまた持ち出すと言うのか。

 それに公文書とやらのオリジナルの英語ソースが皆無である。開示されたというなら、検索で引っかかるべきであるが、皆が皆「ベンジャミン・フルフォード」とか出所不明情報で怪しいという冒頭注のついた英wikiの「Tsunami Bomb」どまりである。
 しかし与太物系サイトでも「プロジェクト・シールに対する認識の誤解を解く!」というところでは、英語力が無い方のようであるが、翻訳サイトを利用して英文を読み、
武器は小規模な爆発のテストだけであり、決して完全なスケールでは行われませんでした。 7ヵ月の期間(これといった津波を発生させませんでした)に4000回爆発をテストしたあと、期待した結果にならないのは計画の理論的基礎の誤りのせいだとの結論に達して、プロジェクトは閉鎖されました。1999年にプロジェクトシールは最高機密文書扱いを解かれました。
米国海軍研究所が後援した1968年の調査書では、大きな爆発生成の波により沿岸の受ける損害の仮説について述べており、大部分の波エネルギーが岸に到着する前に大陸棚で減衰し、津波の生成が非効率であることを示す理論的で実験的な証拠が明らかになりました。
と、ちゃんと読んでいる(サイト原文の機械翻訳の不備はCatsdukeが補訳修正)。

 トンデモ系でもこの程度の検証をする人物もいる。機密文書がNZ政府によって開示請求されたとまで書かれれば、ウソではないだろうと考えて、それ以上追究はしないし、ソースへの疑問も持たないし、英語すら読めない。読めなくても翻訳ソフトを駆使して、原文に当たってみるくらいの努力すらしない/できない。
 その程度の能力しか無い知性の間に流通するのが、この種のトンデモ話なのだということが再確認できたケースであった。
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海底下の断層 54m以上もずれ(毎日新聞 - 06月23日 21:00)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1648015&media_id=2

 東日本大震災では海底下の断層が54メートル以上ずれていたことが、国土地理院の今給黎(いまきいれ)哲郎・地理地殻活動総括研究官の解析で分かった。
 また、ずれがプレート(岩板)境界に近い場所で起こったことも判明した。こうした要素が重なって、海底が10メートル以上隆起し、巨大津波につながったという。23日に東京都内で開かれた報告会で発表した。

 地震を起こす断層が海にあると観測が難しくなる。これまでの断層のずれは、陸地での観測から24メートル以上とされていた。

 今給黎さんは、陸地の地殻変動をとらえる国土地理院のGPSの観測網に、海上保安庁の観測船によるデータを組み合わせて調べた。その結果、陸地だけでは得られなかった海溝付近の状況が分析でき、正確なデータが得られた。【久野華代】
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