若者に広がる「キャラ疲れ」とは?
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1622778&media_id=90
昨日、つぶやいたが、キャラ疲れとはいったい何なのか?
本当は不真面目なのに、人前で真面目なフリをしている事に疲れた?
本当はしゃべるのが苦手なのに、友達に期待されて、つい不本意なのに笑わせるキャラでいてしまう?
そんなのは本当の自分じゃない?
本来の自分を取り戻したい?
普段の自分は自分じゃないと思う事で、自分をスペシャルな存在にできる。
普通ではなく特別な存在にできる。
だからある意味で、鬱や解離性二重人格などは、かっこいいという対象になりうる。
自分に独自性を持たせるという意味ではかなりの効果がある。
しかも心の病は、気の持ちようである程度はコントロールできるので、自分から悪くも良くもできる。
いや、一旦悪くなってしまったら、自分1人では直せなくなってしまうので危険である。
悪くする事はある程度まで自分1人でコントロールできるが、良くするコントロールには、家族、友達、恋人なんかが必要不可欠だろう。
自傷行為(死ぬつもりのない自殺も含む)、虚言(嘘、大ゲサな表現を好む)、派手な格好や言動、などは自分という存在を、唯一無二であり、他のどんなモノとも違うと明確にしたい行為だと言えると思う。
目立ちたいという行為なども、これに含まれるだろう。
一般的には中2病などとも言うか。
自意識過剰などとも言われるが、私は単純に一括りにするのはどうか?とも思う。
人間は自分の脳でしか考える事ができない。だから、自分という存在は自分にとって唯一無二のスペシャルな存在であるのは事実だ。
しかし日本(特に都会)では、人口が多すぎる為に、その中で共存していく技術を身につける必要がある。それは他人に迷惑をかけない事だったり、あまりにも奇抜な言動をしない事だったりするのである。
それは個々のアイデンティティのアピールを控える事を美学とするある種宗教のようなモノとも言えると思う。
『空気を読めない人間は使えない。いじめられて当然。』
『自分をわきまえない人間は、頭が悪い。出世なんかできない。』
『他人に迷惑をかけないような子育てをするのは親の当然の義務。』
これらは、社会の一般常識というよりは、日本の変な宗教に感じる。
道徳とも違う、押し付けの宗教ではないか?
この変な日本人宗教がうまれた理由は、簡単だ。
人口が多くなりすぎて、人間同士の摩擦が、自然界にあるまじき抵抗力となり、それによるストレス緩和をお互いが求めすぎた結果うまれたモノに違いない。
それにより、個々は、こんなにも人口密度が高く、人だらけの街中なのに、必要のないつながりを持ちたくないと思っている人の比率は高いし、そして逆に一旦つながった人間を必要以上に養護したがる。
集団を作った人は自分たちの集団が他より優れていないといけないという変な意識になる。
そのストレスがMAXに達した人達が
『ナンバーワンにならなくていい、もっともっと特別なオンリーワン。』
なんておかしな歌に癒されて
『頑張らなくていいんだよ』
みたいなアホみたいな本に癒される事となる。
そもそも、キャラ疲れなどという気持ちに駆られてしまうのは、こういう変な社会だからだ。
しかし社会の文句を言って、自分はその変な社会の犠牲者だ!なんてアホ言ってるだけでは何の解決にもならない。
キャラ疲れだと感じる人間は、まちがいなく中2病と同じ症状だと思う。
自意識過剰な人間に自意識過剰だと言うとムキになって抵抗して喧嘩になるからやりにくいが、キャラだとか何だとか、色んな事情はあるだろうが、仮に100の性格の自分がいたとしたら、それは100全部が自分の性格じゃないのか?
大人の前ではついいい子のフリをしてしまうのは、キャラではなく、そういう性格なんだと思う。
”本当はおとなしくない”ってのは、間違っていて、”知らない人の前ではおとなしく、知っている人の前ではハッチャケル性格”ってのが正しいと思う。
『普段はおとなしい子でした。まさか傷害事件を起こすような子には見えませんでした。』
本当にその子の性格を知っていたのだろうか?
単に見た目からの勝手な判断とか偏見じゃないのか?
派手でヤンキーっぽいヤツでも、喧嘩が嫌いなヤツだっているし、地味なヲタクだって格闘技を習っていて強いヤツだっているだろう。
偏見で考えてしまうのは、人間の習性なので、それが悪いとか言うつもりはない。
むしろ、人間は偏見で見るのだから、それを熟知して利用すればいいと思う。
ちなみに一流の詐欺師というのは、それを巧みに操れる事が当たり前らしい。笑
私は今、東京に住んでいるが、海外に長く住んだからこそ、見える日本の変なところもある。
人間は息をすれば、酸素を消費して二酸化炭素を吐き出す。
ご飯を食べて、排泄物を出す。
その時点で他人に迷惑をかけないなんて事はできない。
他人から受ける迷惑をいかに迷惑と思わないか?という一番のポイントは”理解”だと思う。
妊婦さんの体を理解する。騒ぎたい子供や若者の気持ちを理解する。
静かに寝たい人の気持ちを理解する。
これらは他人に迷惑をかけてはダメですよ!というような道徳とは一線を画する。
他人を理解し、きちんとコミュニケーションを取る。
これが大事だと思う。
しかし都会ではこれにより犯罪に巻き込まれるケースが少なくないので、誰とでも気軽にコミュニケーションをとるべきではないとも同時に思う。
これを両立されるには、人間との距離感を養う必要があるだろう。
格闘ゲームの達人は、攻撃、防御の間合いを、きっちりと全て理解している。
これにより、自分の立ち位置が完全に決まる。
TV画面でいうと、ミリ単位以下らしい。
これが人間関係で適切の行われていれば、変な誤解やストーカー、煩わしいお誘い、勘違い、などはかなり減ると思う。
これを中途半端にするから、本来ありたい自分の立ち位置に自分が立っていないと感じて、キャラ疲れとか思うのではないか?
”自分が立たされている” と感じるのか、”自分からポジション取りして立っている” と感じるのかでは雲泥の差がある。
立たされていると感じている人は、まだ自立した事がない人だと言っても過言ではないと思う。
まだ学生気分が抜けきってない人なのだろう。
とは言え、瞬時に相手がどういう人間であるかを読む能力というのは、相当数の人間と真剣に付き合わないと会得できないだろう。頭でっかちでは意味が無いので実際のトレーニングしか手はないのは事実だが、実践に向けての準備運動としての学問が確立していないのには驚く。
まとめてみる。
私は自意識過剰でない人間に進歩はないと思う。
ただ自意識過剰な人間は、同じタイプで自分に劣る人間を馬鹿にしたがる傾向が強いので共存して伸びにくい。
自分のキャラを確立するのに苦労するのはいい事だと思うが、”今の自分は、本当の自分じゃない!”なんてのは逃げでしかない。
全ての自分を、本当の自分だとまずは、それを受け入れる事が大事だと思う。
クソみたいな自分も、それが現実だと受け入れる。
まずはそこがスタートライン。
で、他人に迷惑をかけない事より、クソでもいかに自分がどう輝いて生きるかを考える。
その方がいい人生を送れると思う。
当然、輝く為には、良い道徳心、正義感、信念、人間性が必要なので、その中には他人に迷惑をかけない為のやり方がある。
道徳があるから人間がついてくるのか?
人間をまとめる必要があるから道徳を磨くのか?
同じ事であっても、順序がかわれば、その信念自体も大きく変わる。
親を含む、人生の先駆者は、子供や下の人間が苦労しないように自分の経験上の事を与えたがるが
『目的→手段→結果』 の順序が狂った世界には必ず歪が生まれると思う。
ログインしてコメントを確認・投稿する