昨日は何故か私以外の家族は皆予定があり、家に残るだろうと予想してたMaki長男(大学2年)が珍しく朝からいない(というか友達の家に泊まってるらしい)
ちょうどそこへ子供の頃の同期の友人から連絡。ドライヴ行く?とお誘い。なんてタイミングのいい時に声をかけてくれるんだ。
ドライヴの目的はお墓参り。東京は土地がないから昔からの檀家さん以外郊外の山の中(東京は結構丘陵地帯が多い)の公園墓地ではないと墓を買うことができない。墓参り=遠出=車の場合ドライヴ になってしまう。
同期の親友でMaki同期でもあるのだが直接親しくしていたわけではないが前から亡くなった経緯はきいていたので、いつか一緒にお参りを と言ったのを覚えてくれていた友人。
17歳で亡くなったその方のお参りなので湿っぽさはない。友人の中ではまだ言葉では言い表しがたいいろいろな思いがあるよう。命日が自分の誕生日であること その他 あるようだ。
家族の方のお参りと一緒にならぬよう命日を避け、ふらりと でも、毎年何回か欠かさずお参りしてたようだ。今までは一人きりで行っていたけれど、やっと誰かと行く気持ちになったのかな。
仏教の事はよく知らないけれどある方の言葉。
Maki「仏教は何回忌とたくさん供養があって大変ですね。」
その方「いえいえ。そういう段階を踏んで 亡くなった方とお別れ出来る気持ちにだんだんなっていくためなのですよ。」
供養とは、ある意味生き残った者が亡くなった方との悲しみを生きる力に変えていくものなのかな。
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