の14時46分頃に太平洋三陸沖を震源として発生した地震「
東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)。
まずは被災地の皆様にお見舞い申し上げます。
そして、不運にも亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
震災から約一ヶ月が経ちましたが、被災地の状況はあまりよくなっているとは思えません。
そして、福島原発の事故は高濃度の放射性物質の流出を伴い、予断を許さない状態です。
それでも、現地では大勢の方が復興に向けて日々黙々と作業をされており、その姿をメディアで見るたびに感動し、逆に勇気をもらっています。
被災された方々が一刻でも早く、心安らぐ日々が来る事を切に願います。
そしてやっと3/11の午後に起きた出来事を日記に綴ってもいいかなと言う気持ちになり、日記復活をしてみました
この日も相変わらずの大船参りでした
昼後で仕事にもエンジンがかかって来ていた頃、突然来た大きな揺れ
最初はいつもの地震よりちょっと大きいかなぁ〜とたかをくくっていたんですが、地震はまったく収まらず揺れも大きくなり、激しい振幅は2分程度続きました・・・
※体感では5分くらいに感じました(-_-;)
やっと揺れが収まった時には既に停電しており、照明はもちろんPC類もダウン
オイラはノートPCを使ってたんですが、ネットーワークもダウンしており情報確認出来ずでした(>_<)
スマフォでGoogleやTwitterで情報を確認したところ、宮城沖を震源にした大地震が発生したとのこと
しばらく作業をしている3Fの部屋(200名位が在籍している)で指示待ちをしていると、客先の責任者が「余震に気を付けながら落着いて外に出て下さい。その際、机の下にあるヘルメットをかぶって下さい。」とのこと。
そう、この現場は各自の机の下に非常用のヘルメットが置いてあるんです
慌てずに3Fから外に出ると、既に同じ敷地内の別の建物からの社員や協力会社の方々で正門前の広場は人で溢れかえっていました!
まず、各職場の安否確認を行いました。
その間にも次々と余震があり、上の写真に写っている建物がゆさゆさと揺れているのがよくわかり、「ガラスが割れて落ちて来たら怖いね!」と作業チームのスタッフと話していました。
そして客先の保安責任者の方から、関東のJR及び私鉄は全て停止していることがアナウンスされ、「帰れる方は退社してもらって構いません。」とのこと。
我々のチームは帰宅することにして、とりあえず徒歩で大船駅へ
客先の工場の回りの道は、既に停電で機能停止している信号システムの為に渋滞が発生〜
大船駅に向かう時にJRの線路の上の陸橋を渡るんですが、全然電車が走っていませんでした・・・
そして、大きな交差点にはすでにお巡りさんがいて、交通整理をしておりました。
寒空のなか、ご苦労様m(__)m
そして、大船駅傍に近づくと、既に帰宅を始めた方々で駅前のタクシー乗り場やバス乗り場に大勢の人が〜
駅には停止した東海道本線が止まっていました。
駅の改札口に登って行くとそこは大勢の帰宅客で溢れかえっている状態
JRの駅は線路に併設されている電力ラインから電力を供給しているので、停電はしていませんでした
そして構内アナウンスで「現在JR全線は地震の為に運転を停止おります。復旧の作業を開始しましたが、復旧には相当の時間がかかると思われます。」とのこと。
しばらく駅構内に留まりましたが、帰宅をしようとしている乗客で駅構内が溢れかえり始めたので、客先に戻ることにしました
既に夕方になっており気温も下がって来て、なんと小雨まで
帰宅を急ぐ方々とは逆の方向に歩きながら「これはがいわゆる帰宅難民?」
客先の作業している部署に戻ると、まだ10名くらいの協力会社の方々が残っており、「電車止まっているから帰れないですね」と情報交換などをしました。
この時点で地震発生から3時間程度が経過しており、外はすでに暗くなり始めていました。
作業部屋もエアコンが停止しているのでかなり寒い{{ (>_<) }}
チームのメンバーが持っていたワンセグの付いた携帯から、刻々と震災の状況を伝えるニュースが・・・
既にこの時に地震後に発生した津波の映像(漁船や自動車が流されていく映像)が流されていました。
この時初めて、この地震は大震災で有ることを実感!
そして外はとっぷりと暮れてしまい、部屋の中も真っ暗に。
真冬の為に部屋の気温もドンドンと下がって行き、コートを着たままに自席の座ってただじっとしているだけ。
バッテリを温存するために、時々しかスマフォでmixiやTwitterを確認出来ないのには困りました・・・
あと、浜松の友人やその他の友人から携帯に電話をもらったみたいでしたが繋がらなかったようでしたし、こちらからかけても繋がらず状態
キャリヤが通信量の制限をしていたようでしたし、長時間の停電で傍の基地局のバッテリが切れたようで電波無し状態でした。
そんな中、行動を共にしていたチームのメンバーと、真っ暗な部屋の中で雑談しながら過ごしていると、メーカの担当の方が部屋にいらして「1Fの会議室を避難部屋にしたので、そちらに移動して下さい」と言われました。
じゃ〜と言う事で、真っ暗な部屋から出て階段を下り1Fの会議室へ
この時、スマフォの大きな画面を利用した懐中電灯アプリがお役立ち〜
1Fの会議室には既に30名くらいの社員や協力会社の方々がおりました。
そして、工事用の電灯を自家発電機に繋げて照明としており、震災や各地の交通情報を伝えるラジオが流されていました。
この時「ちょっとでも明ることで、これだけの安心感をもらえるんだ」と実感。
そして、なんとその日の夜に工場内で行われる予定だった組合の会議で出されるお弁当が帰宅難民の我々に配られました
夕食は諦めていただけに、これはかなり嬉しかったです
食事後は、災害用に用意されていた毛布が配れたので、それに包まり会議室の椅子を並べた仮設ベット?(笑)で寝ました
椅子のベットって、下の隙間からスースー冷気が入ってくるのでかなり寒かったです(~_~;)
そんな状態なので1時間毎に起きちゃいました・・・
で、2時ちょい前位に復電し、照明やエアコンが復活
やっと部屋の中も暖かくなり一安心
この時、電気のありがたさと、依存度の高さを再認識。
で、始発から小田急は動くことを確認したので、6時に起きてチームのメンバーの一人と一緒に徒歩で藤沢駅へ〜
40分くらい歩いたら藤沢駅傍に到着〜
まだ線路上に停止したままの東海道線の車両を確認することが出来ました
で、50分近く歩いてやっと藤沢に到着!
帰宅難民の方々で溢れかえっているかなと思いきや、意外にも普通な感じでした。
町田までは各駅停車しか運転されていませんでしたが、無事に小田急線に乗り込み自宅駅まで混乱もなく到着
8時前には自宅に無事に到着〜
我家は揺れはしたものの、写真立てが倒れたくらいで被害は無し。
ただ、客先と同じで1時位まで停電していたようです。
そして、気になる2Fの仕事部屋は・・・
PCやTVや楽器等は倒れていませんでしたが、CDケースに収納しきれなくってケースの上や机の上に積んでおいていたCDやDVDが床に崩れており、何枚かのケースが割れちゃっていました
でも、こんなことで済んだ事に感謝m(__)m
そして我家のTVのニュースから流れて来る被災地の様子のを伝える映像をみて、改めて今回の大地震の被害の凄さを確認。
津波で街が崩壊した様子を見て、もう唖然・・・
言葉も出ませんでした。
被災地の方々の事を思うとなかなか寝付かれず、結局この日は夕方までTVやPCで情報を収集していました。
そんな衝撃的な3/11でありました。
そして、この後から過酷な労働に陥って行くオイラでした・・・
(続く・・・)
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