東日本大震災が起きて、被災者の方々の為に、みんなが様々な形でその思いを届けようとしてる。
知り合いの何人もが募金活動したり、物資の援助をしてるし、オレも少しだけど募金とかした。
しかし、あいかわらず毎日のように余震があり、みんなが不安な日々を過ごしてる。
原発の問題も深刻だ。まだまだ予断を許さない。
うちの市内でも液状化により家が崩れたり、地割れが起きたりした。モノがごちゃごちゃにありすぎたオレの部屋は、すべてがなだれをおこし、まだまだどうにもこうにも整理がつかない。
ガソリンや水などの物の不足、計画停電、近所への被災地からの集団移住、相継ぐ自粛、続く大きな余震、危うい原発…
埼玉の外れにいても、とてもリアルに日本の現状の厳しさを体感させられる。
被災者の方々のこれからを、被災地の少しでも早い復興を、日本の未来を、
心から祈ってやまない…
そして…
オレは被災地を訪れた。
被災地でのボランティア活動の為だ。
県外の受け入れをすると公示された福島県相馬市においての災害復興ボランティアの為に被災地を訪れた。
そう…
オレはやっぱりこういうヤツなんだろう。
現実をこの目で見て、現場を体感し、そしてこの手で、少しでも何かできることをしたい。
そこからまた改めて自分の思いや、これからできることを考えてみたい。
もちろんいきなり現地に押しかけて迷惑になるわけにはいかないので、
現地の情報を吟味し、交通手段や食糧なども自己完結できるよう準備した。
ボランティア保険に加入し、ツナギに登山靴、ヘルメットにマスク、作業軍手にスコップ等を車に積んで、夜中に現地へ向かった。
ところどころがでこぼこでつぎはぎだらけの高速道路を眠い目をこすりながら走った。
空がだんだんと明るくなってくる。
めっちゃきれいな朝日が眩しい。
PAで給油を終え、福島市街を越え、現地のボランティアセンターへ。
そして自分ともう一台の車で指示された作業先へ。
作業内容は被災家屋の泥かきだ。
津浪で家屋の床や軒下を占領した臭う泥や流木を、スコップや手ですくい掻きだしていく。
どこから流れてきたのか、消火器や物干し竿なんかが泥の中から出てきたりもする。
津浪以来、周りの田畑は冠水し、今でも満潮時には家屋付近まで海水がやってくる。
それでも未来への復興の為に、今できることを積み上げていくしかない。
初めはなかなか慣れなかったメンバーも、二部屋目になると随分手際がよくなり、みんながそれぞれのやるべきことをし、力を合わせた。
だらだらと汗を流し、一生懸命働いた。
あちこち痛む体にムチうって、家の中からひたすら泥や瓦礫をかきだし運んだ。
せっかく現地に行くのだから、と、車に物資を積んでいった。
ただ、自分の経験上、この時期になると、ほとんどの支援物資はだぶついてると思った。
事実、避難所の管理の方によると、食糧等ももう賞味期限が切れる前に消費するのが難しいという。
そういう状態は予想していたので、「生活必需品はとりあえずもう間に合ってるとしたら、誰でもがちょっと思いつかないもの、あったら便利なもの」を何か持って行こうと考えた。
そして、ふと浮かんだのが…
以前、会社で請け負った仕事で、しかしその配布期間の終了に伴い、大量に余ったポケットティッシュだ。
花粉症の季節でもあるし、持ってたら便利だし、かといって避難所の方々がわざわざそれを買いにはいかないだろうし、ティッシュ配りの人もいかないだろうし…
避難所の管理のおいちゃんも、初めは、やっぱり思いつかなかったのか微妙そうだったけど、「でも学校や仕事も始まるし、あったらいいかもね」と、好意的に受け取ってくれた。
よかったよかった
ボランティアに行って迷惑なんじゃないか、と内心思ってもいたが、実際は逆に人手が足りないくらいだった。
といっても、週末は人が集まるだろうから、と、平日を選んで行ったので、そういう事情もあるんだけど。
復興に向けて少しずつ進もうとしている現地において、物資や流通、ライフラインもだんだんと整えていこうとしているとは思う。
しかし、余りにすべてが破壊されてしまった環境や人々の生活を元に戻していくためには、お金はもちろんだけど、とてもじゃないけど人的資源が足りない。
現地においてそれを痛感した。
そして、
自分のどうしようもない無力さを…
1日の作業が終わり、少し息をついた後、
海岸の方へ出てみた。
目の前に瓦礫の山が広がっている。
家は倒壊し流され、車は泥に埋まり、船が道端に打ち上げられてる。
どうしようもない瓦礫の中を自衛隊が行方不明者の捜索の為に歩いている。
少し向こうでは、白い防護服を着た者が、入る車を規制している。
そうだ。ここからほんの少し行けば南相馬市。原発から20キロ圏内の退避勧告地域に入る。
あまりにも厳しく辛く悲しい現実がそこにある。
それまでの生活環境を根こそぎ奪った地震と津浪による、きっとまだ沢山の行方不明者をその下に隠す、果てしなく広がる瓦礫の山。
テレビやネットで何度もみた光景だが、実際に目の当たりにすると、とてもショックだ。
見てはいけないものを見てしまったような気がした。しかしそれは同時に、見なきゃいけないもの、目をそらしてはいけない現実だった。
それが紛れもなく、今の日本だからだ。
これが今、現実の自分の母国なんだ。
オレは、そこから目を逸らしちゃいけないんだ…
ボランティア作業をしてる途中、携帯から例の不気味な音が鳴った。
緊急地震速報…
福島県で地震による強い揺れに注意を…。
念のため建物の外に避難し、様子をみる。
特に何事もなかったようだ。また作業を始める。
家の方々といろんな話もしながら、汗だくで働いた。
庭も家の周りも瓦礫の山だ。
瓦礫の中に立つ桜の木は、今、そのつぼみを色づかせ、少しずつ花を咲かせはじめようとしてる…
ボランティアに訪れた家のおいちゃんが、
うちらの帰り際に言った。
「ありがとうな。また4、5年後、今度は、遊びに来てくれや」
4、5年…
もしかしたらそれでも足りないかもしれない。
そう思えてしまうくらい、そこには途方に暮れてしまうくらいの悲惨な光景が広がっていた。
先が見えなくなるような現実があった。
でも、
近いうちにきっとまたこの地を訪れよう。
そしてまた現地の方々と一緒に、復興に向けて力を合わそう。
負けるな、日本。
いつかやってくる希望の中の明日を信じて、あきらめちゃいけない。
今は本当に不安でも、やってらんなくなるくらい途方に暮れてても、どうしようもなく辛くても、
それでも、
負けちゃいけないんだ。
ほんとに4、5年後、
またこの地に旅に来よう。
そして、またこの道を走ろう。
静かな平和な海を見にいこう。
いつか、きっと…
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