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2011年03月10日21:21

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映画『アレキサンドリア』見ました

決して話題の映画ではなく、むしろ地味〜な映画だった。

しかも結末が…あまりにも哀しい…

主人公ヒュパティアは科学者で、天文学者で数学者。そして哲学者


彼女の教えていたのはアレキサンドリア図書館、今でいえば、アレキサンドリア大学の先生、といったところか。

時代は古代ローマ4世紀、キリスト教が台頭し、ローマの国教となる時代、(というとローマのコンスタンティヌス帝より後か)

要するに科学と宗教の対立なのだ。

地球は丸い、星々は円を描いて回っている、と主張するヒュパティア女史

驚くのは、16世紀のケプラーやガリレオ・ガリレイ、ニュートンの地動説や万有引力の法則が、この時代に考えられていたこと。


改めて古代ギリシァの文明の深さに驚かされる。


しかしそれが、キリスト教の反感を買い…捉えられて…虐殺


時代背景を見ると複雑に時代だ。古代ローマで宗教は古代エジプトの神々にユダヤ教にキリスト教…イシスとオシリスの神にヤハウェの神に、キリスト教の絶対神

古代から中世の時代だ。


キリスト教徒たちの言い分にローマ政府も無視できない。古代の知性の集まりだったアレキサンドリア図書館は壊され(勿体ない話だ)学問を学ぶ場所はなくなる。


ヒュパティアは科学の事しか考えていないが、弟子達は違った。

あるものは立身出世を望み、あるものは奴隷の身分からの自由を…


みんな世渡りを考えているのだ。生き抜く事を考えている。

世渡りのために、キリスト教の洗礼を受ける。あり得る話だ。

複雑な時代だからこそ、まず自分が生き抜く事を考える。


世渡りも処世術もある。

弟子たちはキリスト教の洗礼を受けることを勧めるが、ヒュパティアは拒否


信仰はあくまでも自由であるべき、他人からの押し売り宗教は迷惑。


それはそうだけど…


当時のキリスト教は、今のオウム真理教よりははるかにしたたかに立ち回ったと思う。

国家権力に取り入ったのだから…オウムでは国家権力に取り入られない。


弟子たちは(みんな男だ)彼女を守りたかった。敬愛する先生、その中には恋心ももちろんある。

だが守れなかった。結末は…虐殺、あまりにも哀しく、切ない…

重い気持ちが残る映画だった…


さっ今度は気分なおしにバカ映画でも行こうか!


ちふれ





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