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2011年02月09日20:06

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映画【毎日かあさん】 酔って酔われて寄る辺なし、死して屍拾う者あり

公開初日の夜、息子がカミサンの実家にお泊りしている間隙を突いて、超兄貴&嫁コンビでレイトショーへ出陣。

http://www.kaasan-movie.jp/

予想通り、昨年観た、『酔いがさめたら、うちに帰ろう』の物語をもう一方の側から捉えた作品でした。
(参考:http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1641096914&owner_id=3722815

同じ物事であっても、置かれた立場によって違って見えるのは当然のことで、『酔いが〜』が、カモちゃん視点によるサイバラへの感謝を込めた、一種のラブレターであったのに対して、本作は、サイバラ視点による、さながらドキュメンタリーのように冷静で客観的な描写が特徴的でした。

しかし、その冷静なる客観視は、なにも、相方の素行/ご乱行の数々を冷たく突き放しているのではなく、事象を見つめている自分自身にさえもフラットで公平な視点で語っているのが、サイバラのサイバラたる所以でしょうか。
それは、あたかも、サイバラの頭上5メートルにドッペルゲンガーサイバラが居て、そこから眺めた俯瞰図を通して、夫婦や家族の構成員の互いの関係性への鋭い分析と突っ込みを繰り出しているかのようです。

受け手によっては、これは相当冷淡と感じるかもしれませんが、少なくとも、常人が他人のことは冷たく見ながらも、自身のそれを棚に上げてしらを切るのに比べれば、非常に真摯で紳士的だとさえ思うのです。

『酔いが〜』と『〜かあさん』、同じ事を捉えていながらも、両作のトーンの差は、特に、カモちゃんのアルコール依存症に対する描写において顕著になります。
『酔いが〜』では、それをカモちゃんの背負い込んだ業のように描きながらも、根底にあるのは、その業によって引き起こしてきた数々の迷惑に対する、カモちゃん自身の贖罪の念でした。
対する本作では、その事象を冷たく突き放すように描きながら、依存症に対する無理解や偏見から、無意識のうちにカモちゃんを孤独に追い込み苦しませてきてしまった事への、サイバラ自身の後悔と自責の念が滲みます。

ウラを返せば、どちらも、表向き伺えるキャラクターの特徴やありがちな行動パターンに反して、互いに相方への思いやりの一途さと感謝の念に溢れる、繊細な感覚に満ち満ちているのでした。

カモちゃん原作の『酔いが〜』が、辛辣なテーマながらも描写がコミカルに徹しているのと、逆に、サイバラ原作の本作が、コミカルなを装いつつ辛辣なテーマを内包している構図は、さながら、コインの裏表のように互いを補完しあっているようです。

しかし、その根底にあるのは、互いに互いを思いやりながらも、それを単純にオモテにできない天邪鬼さや照れのようにも思えました。
その天邪鬼さとは、たまねぎを刻まなければ泣けなかった永作博美であり、夫の死顔をみて、やっと、泣き崩れることができる小泉今日子の描写に集約されています。

そんな、大人の事情をさておき、どんなことがあっても笑顔でいようとする子供たちの無邪気で健気な姿にほっと胸をなでおろすとともに、彼女の作品世界(サイバランド)を闊歩する多彩で強烈なキャラクター(サイバランダー)の原型とは、結局、『純然たるコドモ魂』であったのだと、妙に腑に落ちたのでした。







余談)

2人で映画を観終わって、夜道をクルマで自宅に戻る道すがら感想を語り合い、一発目に出てきたのが…

嫁『どこのウチでも、男の子ってバカだね〜♪』

超『ほんっと、ブンジちゃんの描写、リアルバカだったねー。ウチの○○のちっちゃい時とそっくり。』

嫁『うんうん。そのバカの中に、リアルあんたも含んでるから。』

超『…』

嫁『…』









その日、やけに布団が冷たく感じられたコトは、一生忘れまい orz



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