昨日は実に20年近くぶりに大学時代の友達と再会して呑みました。
彼のお奨めの、驚くほど沢山の種類の日本酒を置いてるお店にて、
いっぱい味比べしながら、
いっぱい話して、
いっぱい笑って、
とっても楽しい時間を過ごしました。
お酒、すっごく美味しかった〜
そいでもって、すっごく、すっごく、楽しかったぁ〜
昨年末に小学校の同級生と
なんと小学校卒業以来初めて会って話した時も思いましたが、
不思議ですよね…
子供時代や血気盛んな(今よりもっとね-笑-)時代に一つことを追いかけた同朋に会うと、
ものすごく自然にタイムスリップできる。
当然、まるっきりその時に戻れるわけではないけど、
でも戻れるわけがないからこそ、
再会して共に過ごす時間がより愛ぉしくなるのです。
一夜では語り尽くせないそれぞれの20年や30年があって、
美味しいお酒のように時間をかけて熟成されたこれまでの人生が、
コアな部分は変えずにその人達を育て上げ、
彼を、彼女を、ますます魅力的な人物にしてくれているのです
そんな過去と現在をあたたかくリンクさせた不思議な時間を過ごしたからこそ多分余計に、
マイミクkeizoさんの日記を昨夜帰宅してから読んで共感すると同時に
ちょっぴり切なく遣る瀬無い気持ちになりました。
余計に…というのは違うな。
多分ジャストタイミングだった、のだと、思う。
彼はこのお正月に故郷で『帰省すると自分を狂わせる何か』を探し回ったそうです。
きっと、誰が読んでも共感されるのではないかと、
ここで紹介させて頂きます。
あ、keizoさんに許可は仰いでません。
だってきっと彼はあっさり「どーぞ」と、言うてくれますもん
そしてkeizoさんの日記に書いた私のコメントも改めて記しておきます。
自分自身の記録として自分の日記欄にも残しておきたいので。
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keizoさん日記
『新年、明けましたから今年もよろしく』
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1655953065&owner_id=17940116&comment_count=19
〜コメント〜
そこはかとなく共感します。
ケーゾーくんのように上手く言葉にできませんが、
絵は浮かびます。
私の中に広がる『置いてきてしまった何か』があるかもしれない景色は、
花曇りの日ような薄暗いような薄明るいような、
いつかの日常のどこかのひとコマです。
時間が止まってしまっているような、延々と流れているような、
あともう少しで砂時計の砂が落ちきると思っていたら、
いつの間にか振り出しに戻っているような。
昔の私なのか誰なのかわからない向こうがうっすら透けて見える女の子が、
そこかしこに現れては歩いたり走ったり何かを追いかけたりして、
残像を引きながら消えてゆきます。
実態があるようでないような。
感情が素直すぎて無感情のような。
そんな様子をぼぉ…っと、眺めている私と一度だけ目が合いますが、
私なんかいないみたいにまた違う方を向いて、
何かを追いかけながら消えてゆきます。
唯一色味を帯びているのは、
黄色いちょうちょ。
女の子が追いかけてるのはそれかもしれないし、そうじゃないかもしれないし。
私は心の中だけでそのちょうちょに手を伸ばそうとしてみます。
心の中だけで。
私は焦燥感を抱きながらもなんとなく諦観しています。
『何か』を置いてこずに、大人になることはできるのかなぁ…
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もしかしたら、『何か』の残像くらいはみんな大人になっても残っていて、
だから昔の友達と逢うと、
『何か』の残像が共鳴しあってタイムスリップするのかもしれない。
「私はもう『何か』を置いてきてしまったのかもしれない」
どこかでそれを認めているから、
古き良き友との再会がより貴重な宝ものになるのかもしれませんね。
でもね、この愛しさは
『何か』を置いてきた寂しさを知らないと抱けない、
とてもあたたかな感情だと思います。
淋しいことばかりじゃないですね♪
あ、ところで、keizoさんの日記を読んで、
オモロイから他のも読んでみよって思ったあなた、ご留意しといてくださいね。
今回のはそーでもありませんが、基本、彼の日記はどえらく長いです。
私も人のこと言えないような時がありますが、
彼のはもぉ、“長さ”自体に拘ってるかのように長いです(笑)
だから私は彼の日記はケータイからは読みません
でもね、ほんま、めっちゃオモロイですよ。
エッセイストになれるよ、keizoさん。
あ、関西弁イケる方は、
頭の中で関西弁のイントネーションで読まれることをお奨めいたします
keizoさん、勝手に日記拝借しちゃってごめんね〜)))
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